きょう、 1月22日 に生まれたひとの言葉

勝海舟の厳選46の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

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勝海舟は、江戸末期から明治初期の武士、政治家です。

明治維新の時代を幕府側で江戸城の無血開城という和平交渉をし、江戸の住民150万人の生命と家屋・財産などの被害想定を救った人物でもあります。

また、江戸末期から政治に関わり、日本の海軍の父とも呼ばれるように、海外列強の圧力に対抗すべく日本の軍事力、当時ですと海軍の必要性、強化を提唱し、教育機関まで作った人物です。

「島国の人間は、どこも同じことで、とにかくその日のことよりほかは目につかなくって、五年十年さきはまるで暗やみ同様だ。それもひっきょう、度量が狭くって、思慮に余裕がないからのことだよ。」

旧体制の人間であった勝海舟ですが、世界における日本という視点でこれからの日本を見据えていたい人物です。

日本内部の体制抗争のサイズではなく、海外列強と渡り合うには?という問題設定が彼の功績の背景にあるのではないでしょうか。

大局をみて、広く深く考えられたことをじっくりと取り組む。その言葉は多くのことを教えてくれます。

勝海舟の人生や仕事に対しての哲学的な言葉から厳選した名言集を紹介します。

勝海舟はどんなひと?

勝 海舟は、江戸時代末期から明治時代初期の武士、政治家。位階は正二位、勲等は勲一等、爵位は伯爵。初代海軍卿。 山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる。
生年月日: 1823年3月12日

Wikipedia

勝海舟を物語るエピソード

  • 日本海軍の父
  • 狂犬に睾丸を噛まれて70日間(50日間とも)生死の境をさまよっていた。
  • 江戸城無血開城への和平交渉を担った。
  • 旧幕臣の就労先の世話や資金援助、生活の保護など、幕府崩壊による混乱や反乱を最小限に抑える努力を新政府の爵位権限と人脈を最大限に利用して維新直後から30余年にわたって続けた。
  • 海舟は戦勝気運に盛り上がる人々に、安直な欧米の植民地政策追従の愚かさや、中国大陸の大きさと中国という国の有り様を説き、卑下したり争う相手ではなく、むしろ共闘して欧米に対抗すべきだと主張した。三国干渉などで追い詰められる日本の情勢も海舟は事前に周囲に漏らしており予見の範囲だった
  • 哲学館(現:東洋大学)や専修学校(現:専修大学)の繁栄にも尽力。

参考:Wikipedia

西暦 日付 年齢 エピソード・実績
1823年 3月12日 0歳 誕生
1832年   9歳
狂犬に睾丸を噛まれて70日間(50日間とも)生死の境をさまよっている。後も勝のトラウマとなり、犬と出会うと前後を忘れてガタガタ震え出すほどであったという。
1838年   16歳 父の隠居で家督を相続。
1845年   22歳 永井青崖に蘭学を学ぶ。
1850年   27歳 私塾(蘭学と兵法学)、「氷解塾」を開いた。開塾年は推定。
1853年   30歳
ペリーによる開国を要求への海防に関する意見書(西洋式兵学校の設立と正確な官板翻訳書刊行)を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。これに海舟も海防意見書を提出。
1855年   32歳 異国応接掛附蘭書翻訳御用に任じられて念願の役入りを果たし、海舟は自ら人生の運を掴むことができた。
1855年   32歳
長崎海軍伝習所に入所。オランダ語と海軍知識を学ぶ。頻繁に船酔いに苦しんでいたことと、思うように勉強がはかどらなかった(特に数学が苦手)ことは事実。
1860年   37歳 1860年)には咸臨丸で渡米。日米修好通商条約の批准書交換。
1863年   40歳 神戸塾開塾。塾頭が坂本龍馬。
1864年   41歳 神戸海軍操練所も設置されたが政治構想をことごとく潰され、幕府に対して不満を抱いていた。
1864年   41歳
第一次長州征討で幕府は勢いづき公議政体論の見通しは無くなり、海舟の立場も危うくなった。約2年の蟄居生活を送る。多くの書物を読んだという。
1866年   43歳 第二次長州征討の停戦交渉を任される。
1868年   45歳
最後の陸軍総裁、陸軍取扱に起用され、江戸城無血開城への和平交渉開始。予定されていた江戸城総攻撃の3月15日の直前の13日と14日には海舟が西郷と会談、江戸城開城の手筈と徳川宗家の今後などについての交渉を行う。結果、江戸城下での市街戦という事態は回避され、江戸の住民150万人の生命と家屋・財産の一切が戦火から救われた
1869年   46歳 明治2年に精鋭隊長中条景昭らを金谷原へ移住させ茶畑開墾を奨励させ、静岡がお茶の名産地となる原動力を仕掛けた
1869年   46歳 徳川慶喜の謹慎解除など、維新直後から赦免へ30年の間尽力。
1880年   57歳 徳川一族から積立金を集め保晃会を設立、日光東照宮保存を図った。
1890年   67歳 「日本のワインの父」と呼ばれる川上善兵衛にワインの製造と葡萄栽培を奨める。
1898年   75歳 明治天皇に拝謁を許され特旨をもって公爵を授爵
1899年 1月19日 77歳 海舟の最期の言葉は「コレデオシマイ」だった。享年77。

勝海舟の人生の名言 -長い時間をかけて、広くものごとを見ることの大切さを教えてくれる言葉

勝海舟は16歳で父から引き継ぎ、家督、つまり家の長になります。

22歳では、蘭学、(主にオランダの書物、海外の学問全般)で海外の知見をまなび、27歳で蘭学と兵法学の私塾を開くまでになりました。

これまでのキャリアで彼の知見が日本のこれからに欠かせないものであることと、指導者としての資質があることがうかがえます。

実際に、ペリー来航による海外列強の脅威に対する意見公募に勝海舟の提案書が政府の目にとまることで、政治職に就きました。

勝海舟は、これまでの経験を糧に、自らの力でもって出世してきます。

「その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時にどのように過ごしているかで図れる。日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。」

「俺など本来、人(生まれ)が悪いから、ちゃんと世間の相場を踏んでいる。上がった相場はいつか下がるときがあるし、下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、道は必ず開ける。」

私塾を開き、人材を育て、政府への意見書では、おもに貿易による経済強化、海軍強化を提案しています。

これからの時代になにが必要か?彼の行動の背景には常にその問いが含まれているように思えます。

勝海舟の言葉は人生に対して、長い時間をかけて、広くものごとを見ることの大切さを教えてくれます。

自分の人生について考えさせられる名言を紹介します。

外国へ行く者が、よく事情を知らぬから知らぬからと言うが、知って行こうというのが良くない。何も用意しないでフイと行って、不用意に見て来なければならぬ。

行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない。

その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時にどのように過ごしているかで図れる。日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。

世の中に無神経ほど強いものはない。

生死を度外視する決心が固まれば、目前の勢いをとらえることができる。難局に必要なことはこの決心だけだ。

機先を制するというが、機先に遅れる後の先というものがある。相撲取りを見てもただちにわかる。

俺など本来、人(生まれ)が悪いから、ちゃんと世間の相場を踏んでいる。上がった相場はいつか下がるときがあるし、下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、道は必ず開ける。

やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。

世に処するには、どんな難事に出逢っても臆病ではいけない。「さあ、なにほどでも来い。おれの身体がねじれるならばねじってみろ」という料簡で事をさばいてゆくときは、難時が到来すればするほどおもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。

島国の人間は、どこも同じことで、とにかくその日のことよりほかは目につかなくって、五年十年さきはまるで暗やみ同様だ。それもひっきょう、度量が狭くって、思慮に余裕がないからのことだよ。

生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤があるねえ。

学者になる学問は容易なるも、無学になる学問は困難なり。

勝海舟の人生の名言 -自分の価値は自分で決めることの大切さを教えてくれる言葉

「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。」

「急いでも仕方がない。寝ころんで待つのが第一だと思っています。」

勝海舟の2つの言葉は、自分の行動が周囲に認められない現実だったときにの気持ちの落ち着き方を教えてくれます。

勝海舟は政府の要職に就くも、自身の描いた構想が叶わない経験もしています。

41歳の年、政治構想にあった神戸に海軍操練所も設置することができましたが、潰され、幕府に対して不満を抱いていました。

長州軍と幕府の抗争ののか、勝海舟の立場も危うくなり、約2年の蟄居生活(自宅謹慎)を送りました。

そんな不遇のときに、勝海舟は多くの書物を読んだそうです。

自分の価値を自分で見限らず力を蓄え続けたからこそ、再び政治の世界に戻り大きな功績を遂げるまでに至れたのかもしれません。

勝海舟の生き方や言葉は多くのヒントが含まれています。

自分を信じ生きようと思える言葉・名言を紹介します。

人の一生には、炎の時と灰の時があり、灰の時は何をやっても上手くいかない。そんなときには何もやらぬのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する。

自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。

急いでも仕方がない。寝ころんで待つのが第一だと思っています。

人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよいのさ。社会は大きいからあらゆるものを包容して毫(ごう)も不都合はない。

勝海舟の仕事の名言 -「大事をなすには寿命が長くなくてはいけないよ。」仕事について考えさせられる言葉

「大事をなすには寿命が長くなくてはいけないよ。」

勝海舟は、蟄居生活をするも、要職に復帰して、江戸城の無血開城という和平交渉に結びつけます。

また、彼は江戸から明治政府になっても政府の要職についた人物でもあります。

明治以降の功績としては、表舞台よりも、その裏での貢献自体が素晴らしいのではないかと思います。

つまり、江戸幕府崩壊による混乱や反乱を最小限に抑える努力を新政府の爵位権限と人脈を最大限に利用し、旧幕臣の就労先の世話や資金援助、生活の保護など、維新直後から30余年にわたって続けたことです。

たとえばですが、いまでも日本の産業・文化として確認できるもの多くあります。

静岡での茶畑産業の奨励や、

「日本のワインの父」と呼ばれる川上善兵衛にワインの製造と葡萄栽培を奨め、

日光東照宮の保存を図ったりと、

江戸に生きたひとや建築などへの支援をしていました。

「時勢の代わりというものは妙なもので、人物の値打ちががらりと違ってくるよ。」

「天下の大勢を達観し、事局の大体を明察して、万事その機先を制するのが政治の本体だ。」

勝海舟の大局観、指導者としての資質が江戸から明治へ、そして現在まで与えているものが多くあります。

時代が変わろうとも、自分の価値を見限らず、また、ひとの価値を見限らなかった優しさがあったひととも思えます。

彼の言葉には、仕事についてヒントになる言葉も多くあります。

今日と明日の自分の仕事について考えたくなる言葉をご紹介します。

何でも大胆にかからねばならぬ。難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。

事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。

人間の精根には限りがあるから、あまり多く読書や学問に力を用いると、いきおい実務の方にはうとくなるはずだ。

あれのこれのと心配ばかりしていては、自然と気が餓え神(心)が疲れて、とても電光石火に起こりきたる事物の応接はできない。

大事をなすには寿命が長くなくてはいけないよ。

時勢の代わりというものは妙なもので、人物の値打ちががらりと違ってくるよ。

天下の大勢を達観し、事局の大体を明察して、万事その機先を制するのが政治の本体だ。

外交の極意は、誠心誠意にある。ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだよ。

政治家の秘訣は何もない。ただ「誠心誠意」の四文字ばかりだ。

功名をなそうという者には、とても功名はできない。戦いに勝とうという者には、とても勝ち戦はできない。何ごとをするにも、無我の境に入らなければいけないよ。

もし成功しなければ、成功するところまで働き続けて、けっして間断があってはいけない。世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから大事ができないのだ。

世人は、首を回すことは知っている。回して周囲に何があるか、時勢はどうかを見分けることはできる。だが、もう少し首を上にのばし、前途を見ることを覚えないといけない。

勝海舟の人生と仕事の名言が溢れ出ている書籍

氷川清話

“完全校訂版 江藤淳・松浦玲編、未収録談を大量増補 海舟が自在に語る談話の数々 幕藩体制瓦解の中、勝海舟は数々の難局に手腕を発揮、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。晩年、海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判の数々は、彼の人間臭さや豪快さに溢れ、今なお興味が尽きない。本書は、従来の流布本を徹底的に検討し直し、疑問点を正し、未収録談を拾い上げ再編集した決定版。”

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活学新書 勝海舟修養訓

“若い頃の極貧生活、二十回にも及ぶ襲撃事件、大政奉還……。 本書を通じて海舟の辿った苦悩や、激動の幕末期が浮かび上がってくるのも読みどころの一つ。 自省自修の努力をせよ、無心になれ、逆風を楽しめ、決然と事に当たれ、 現世での評価にこだわるな――。克己心を以て生涯を貫いた海舟の生き様に学びたい。”

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海舟語録

“奔放自在、縦横無尽!幕末・維新を語り、明治の政局を評する海舟の炯眼と叡智 官を辞してなお、陰に陽に政治に関わった勝海舟。彼は晩年、ジャーナリスト巌本善治を相手に、幕末明治の政情や人物等について奔放に語った。本書では、『海舟餘波』『海舟座談』等として知られるそれらの談話を詳細に検討、日付順に再構成し、海舟の人柄や、その炯眼、叡智を偲ばせる肉声の復元を試みた。『氷川清話』の姉妹編をなす貴重な歴史的証言集。”

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勝海舟 歴史を動かす交渉力

“ペリーの黒船が来航し、驚天動地の騒ぎのさなか、 蘭学者・兵学者の勝海舟は冷静に先を見通した。 尊攘倒幕の志士にも、佐幕派の浪士にもならず、 動乱のなかに国家統一の構想を固め、自らの使命を求めて動く。 有力な幕臣となった勝は、複雑で重い運命を背負い、 薩摩の西郷隆盛との大交渉劇「江戸開城」を演じる。 「公」は「私」を超えるという信念のもとに交渉を進め、 江戸は焼かれず、近代国家の首都、東京に継承された。 勝は倒されるべき旧い国家を担い、その幕引きを行った――。 日本の近代史を動かした巨大な交渉人・勝海舟の航跡を生き生きと描く。”

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