きょう、 生まれたひとの言葉

マザーテレサの厳選33の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

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マザーテレサ2

マザーテレサさんは修道女の身からひとり、貧困の人々へ言葉通り手助けをしてまわる活動が次第に人々へ広がり、「神の愛の宣教者会」を創立した。

彼女の発する言葉は、利他的な行動が自身への幸せにつながることを身をもって証明してくれている。

人生や仕事に勇気をくれる哲学的な言葉が魅力的です。マザーテレサさんの言葉から厳選した名言集を紹介します。

マザーテレサてどんなひと?

マザー・テレサ、あるいはコルカタの聖テレサ は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。

Wikipedia
西暦 日付 年齢
エピソード・実績
1910年 8月26日 0歳
誕生
マザー・テレサ、本名(アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)
オスマン帝国ユスキュプ(現在の北マケドニア共和国スコピエ)に、3人兄弟の末っ子として生まれる。
母はルーマニア人、父はルーマニア人と同系の少数民族・アルーマニア人であった。
1922年   12歳
聡明な子で12歳のころには将来インドで修道女として働きたいという望みを持っていたという。
1928年   18歳
故郷のスコピエを離れ、アイルランドで女子教育に力を入れているロレト修道女会に入る。
1931年   21歳
修練女としてインドのダージリンに赴いた。初誓願のときに選んだ修道名が「テレサ」であった。
1944年   34歳
校長に任命される。学校では上流階級の子女の教育をしていたが、カルカッタ(現在のコルカタ)の貧しい人々の姿が心にあった。
1946年 9月 36歳
テレサは休暇のためダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
1947年   37歳
カルカッタの聖マリア学院で地理と歴史を教える。
1948年   38歳
ローマ教皇ピウス12世から、修道院外居住の特別許可を得る。テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街へ向かい、ホームレスの子どもたちに街頭での無料授業を行っていく。彼女の活動に、やがて教会や地域の名士たちから支援が寄せられるようになった。
1950年   40歳
「神の愛の宣教者会」を設立。
同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」こと。
このときから、テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。
1952年   42歳
インド政府の協力もあり、ヒンズー教の廃寺院を譲り受けたテレサはホスピス「死を待つ人々の家」を開設。これ以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。
1969年   57歳
ドキュメンタリー映画『すばらしいことを神さまのために』や同名書籍「マザーテレサ すばらしいことを神さまのために」により、彼女の活動は全世界で知られるように。活動は高く評価され、多数の賞が贈られた。
1997年   87歳
ノーベル平和賞を受賞
1997年 9月5日 87歳
マザー・テレサはカルカッタにて生涯を終えた。すべての貧しい人のために奉仕したテレサの葬儀は、インド政府によって国葬とされた。
2016年 9月4日  
ローマ教皇フランシスコはテレサを列聖し、聖人であると宣言。

マザー・テレサの代表的な名言「思考に気をつけなさい…行動に気をつけなさい」

マザー・テレサの短いけれども、代表的な名言に下記があります。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

考え方次第で、行動や未来が変わっていくことを端的に表現してくれている名言です。

マザー・テレサは世界平和は家族をまず愛することからはじめるべきと説きます。

世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。
あたたかい微笑み。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。

誰しもができる身近なことから、はじめようと思える言葉。

マザーテレサの仕事と人生の名言 ー「それでも続けること」ことの大切さ

マザーテレサ1
unsplash

マザーテレサはひとりで貧困の人々への手助けを始めました。当初はその貧困を取り巻く周囲の人々は笑いましたが、マザーテレサは気にすることもなく支援を続けました。それはやがて、かつての教え子たちから支援の輪が広がりました。周囲の無碍な声に「それでも続けること」を説くマザーテレサの名言を紹介します。

人生とは機会です。
そこから恩恵を受けてください。
人生とは夢です。それを実現してください。
人生とは挑戦です。それをかなえてください。
人生とは義務です。それを完成しとげください。
人生とはゲームです。それを楽しんでください。
人生とは約束です。それを果たしてください。
人生とは悲しみです。それを乗り越えてください。
人生とは歌です。それを歌ってください。
人生とは苦労です。それを受け入れてください。
人生とは悲劇です。それを慰めてください。
人生とは冒険です。それを思い切ってやってください。
人生とは運です。それを作っていってください。
人生とはあまりにも貴重なものです。それを壊さないでください。
人生とは生きることです。戦いぬいてください。

人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。

人生のいま目の前にあることを受け入れ肯定しながら、前に進むこと。考えたり悩んだり時に誰かへの批判などせずにただただ今すべきことをする。マザーテレサの言葉は簡潔だけれど人々の背中を強く押してくれる。小さなことでも構わないから行動しなさい。そんなふうに聴こえてくる。どんなに逆でもどんなに理不尽でも自分の世界を変えてくれるのはいつも自分であり、自分が言った言葉よりも自分がしてきた事の積み重ねが世界を変える。思い煩う時、マザーテレサの言葉を読んで、もう一度行動しようと思えてくる名言。

人生はひとつのチャンス、人生からなにかをつかみなさい。

神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。

人生はいろいろある。幸も不幸も含め紆余曲折が人生だとしても、マザーテレサは人生をひとつのチャンスだと説く。何かを掴むことができる機会だと説く。成功や失敗の結果よりもまず、人生が機会に満ち溢れた時間だと思うだけで気持ちは前よりも高揚する。可能性が常に一秒先の未来から自分のもとにやってくるような気さえしてくる。何かをつかもうとする。その時間こそがもうすでに夢中で楽しい時間なら、それは結果として成功ととらえてもいいのではないか。常に機会に目を凝らし掴もうと行動することこそ、マザーテレサが説く、人生を楽しむ秘訣かも知れないと思わされる名言。

導いてくれる人を待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。

暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい。

説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。

マザーテレサはカルカッタで従事していた修道院をある日、神からの啓示を受けて、スラム街の貧しい人々を手助けするようなる。元教師であった彼女がまずはじめに行ったことは、学校に行けない子供たちを集めて、青空授業を無料で行なった。その活動からやがて彼女の昔の教え子たちがボランティアとして彼女のもとに集まり、寄付も少しづつ寄せられるようになった。彼女は自分にできることを見つけ、目の前のことに真摯に取り組んだ。この姿を見聞きした人が彼女の取り組みに感じるものがあり、支援の輪が広がっていった。彼女の教え子が集まったのもの過去に彼女がその教え子の人々にも同じように真摯に向き合ったからこそ「信頼」を得ることができ、いまの彼女に協力する動きも生まれたのだろう。いまできることを真摯に取り組む。その姿はきっと、少しの時間差こそあれ誰かが協力してくれる。まずは自分から行動を起こすこと。誰かの行動を待つのではなく、自分がその誰かになること。その行動は次第に大きな動きに変わる。ひとりで始めたこともやがて、ひとりではできなかったことまでやってのける動きになる。力が湧いてくる名言。

昨日は去りました。明日はまだ来ていません。わたしたちにはただ、今日があるのみ。さあ、始めましょう。

過去のことをあれこれ考えても、悲しいかなそのときにはもう戻ることはできない。昨日は過ぎてしまったのだ。大事なことはいつだっていまに向き合うこと。もちろんいまを大切にしたからこそ、その時間が過ぎていき、過去となり変わってもまだ今と同じような感覚であるのかもしれない。常に「いま」を生きるのは、記憶や論理など人間が動物より得意な頭を使って生きていると少し難しくなる。大事なのは、常に「いま」を感じること。昨日という概念を忘れることと、きょうやいまという時間を身体で感じること。動物のようにいまに集中していくことができれば、人は昨日よりも前に進むことができる。昨日を忘れ今を生きようと思えてくる名言。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなくし善を行い続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

マザーテレサが設立した「神の愛の宣教者会」の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」こと。マザーテレサのこの活動が人々の感心を強く響かせたのは、自身の進行であるキリスト教信者への支援ではなく、どんな宗教でも貧しい人々を支援すること。そして、キリスト教に改宗させることもせず、ただただその人が信じる宗教を尊重しケアを行ってきたこと。信仰よりもまず、命や愛こそが人間の存在として大切なことであり、最大限の敬意を持って接する。当初掲げた目的に合致した行動が世界中の人々の感銘を与えた。行動や活動は、当初の目的と違ってきたり、目的が手段に変わってしまったりと少しづつずれていくこともある。マザーテレサは目的を忘れず進んでいった。この凄さは大小関わらず、目的を掲げたことのある人なら感じるものがある。マザーテレサが目的からずれることのなかった要因は、目的が本当にやりたいことであったことと、常にいまが目的に向かって生きているかどうか感じ取りながら生きてきたのだろう。自分の思考や言葉、行動の一挙手一投足に常に気を配り、目的と合っているか照らしながら、他人の一挙手一投足は常に少し想定を超えるものと見越して、自分の感情や目的に影響させないような心持ちでいたのかもしれない。自分の心を平和な状態にし、周囲をも平和にしていく。なかなかできることではないけれど、この言葉を時折思い出して、確かめながら今を生きて行こうかと思える名言。

私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎません。だけど、私たちがやめたら確実に一滴が減るのです。

私たち一人一人が、自分の玄関の前を掃除するだけで、全世界はきれいになるでしょう。

私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。だから、ともに力を合わせれば、素晴らしいことができるのです。

この世界には70億人の人間がいて、一日2ドルほどの生活レベルの人は40億人いる。世界に眼を広げれば、およそ二人にひとりは貧困層と呼ばれる人だ。マザーテレサが活動していた時代も同様に多くの貧困層の人がいた。この数字を目の当たりにすると、自分ひとりが行動を起こしたところで世界は変わらないかもしれないとさえ思え、一歩踏み出すことをやめてしまうかもしれない。しかし、マザーテレサはやめなかった。ひとりひととりが自分の家の玄関を掃除するような身近な物事に少しだけ愛を注ぐことが出来れば世界は変ると本気で思っていたのだろう。いや、思っていたというよりも、計算した結果、確実に達成できると思い至ったのかも知れない。この世界の二人にひとりが貧困層だとしたら、豊かな側にいるひとりが、貧困であるひとりに少しだけ手助けすることができれば、世界はたちまち貧困という言葉はなくなる。そう単純に考えていたのかも知れない。だからこそ、大河の一滴であったとしても、一滴の集まりこそが大河なのだから、その一滴を注ぎ続けようと発信してようにさえ思える言葉。自分にできることが小さくとも、自分にできることをできる範囲でやろうと思えてくる名言。

マザーテレサの仕事と人生の名言 ー「愛が大事」思い煩う思考にさよならする考え方

マザーテレサ2
unsplash

マザーテレサはこの世界に愛が足りないとときます。その愛はひとの優しさであり、ほんの少しの行動、笑顔だけでも十分な愛情を受けたひとの心に届きます。ほんの少しの行動からはじめましょうと説くマザーテレサの言葉は、世界の笑顔を増やしたことでしょう。

この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。

一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さなほほえみに飢えているのです。

マザーテレサはこの世界に足りないことは、愛と感謝であり、その意味を表す表現が微笑み、誰かに向けられた笑顔だと説く。マザーテレサの画像を検索してもらうとすぐに彼女の笑顔の写真が飛び込んできて、彼女の笑顔がこの世界に溢れていることが分かる。誰もができることのひとつとしても「誰かに笑顔を向けること」はすぐにできる世界平和。身近な人への笑顔をもう少し増やしてみよう。ある統計では、日本人の子どもは1日400回笑い、大人になると15回に減るそうだ。子どもの笑顔が一瞬でも心に平和をもたらすことを思い出して、子どもたちに負けず、大人ももう少し笑顔を増やそうと思えてくれる名言。

平和は微笑みから始まります。

笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの。

誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人へのすばらしい贈り物となるのです。

短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。そんな言葉はいつまでも心の中で輝き続ける。

これらの言葉も、上記と同様に「笑いましょう」とマザーテレサは説く。とても簡単なことだけれど、貧困という言葉に対して、ついつい難しい顔をしてしまったりする。それでも笑顔は愛の表現あり、他者への贈り物である。そしてこの贈り物は手間暇のかからない贈り物だ。もしも笑顔が届けられない人には、短めの言葉だっていい。そこに愛情が込められてさえいれば、人の心には届く。笑顔も言葉もどちらも愛の表現だ。ついついこの表現を忘れがちになることがあるけれど、いつも絶やさずに表現できれば、世界はもっと楽しくなる。自分が誰かに笑顔や言葉をもらったときの気持ちを思い出すと、自分の顔も笑顔になる。いつかの笑顔が誰かの心には残る。世界に少し足りなくなる愛は、誰もが無償で簡単に贈ることができ、誰かの心に貯まっていく。その総和が世界の平和に少しでも役立ち、巡り巡って自分を笑顔にしてくれると思える名言。

あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。

慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。

私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。

マザーテレサは大きいことを人々に求めていない。ただただ身近な人を愛するように、ひとりひとりができる小さなことをできるよう願っている。しかしマザーテレサの願いや自身の行動として積み重ねた小さな行動は、大きな物事を動かす力があった。1982年のイスラエルとパレスティナの武力衝突を一時休止させ、戦火の病患者たちを救出した出来事があった。マザーテレサの訴えにより大きな争いがいっときでも止まったのだ。小さなことをしてきたマザーテレサへの信頼が一国の動きを変えてしまうほどの力をも示した出来事だ。だからこそ、マザーテレサの願うひとりひとりの小さな愛ある行動を沢山の人が信じたくなるのだろう。彼女自身が証明した愛の力を持ってひとりひとりが行動し続けたらどうなるか、動くのは一国に留まらない。笑顔を言葉を誰かに贈り続けようと思える名言。

大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。

世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。
あたたかい微笑み。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。

いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。

今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。

愛の反対は憎しみではなく無関心である。

マザーテレサの言葉で格言のように人々の視点を変えた言葉として、「愛の反対は無関心」という言葉ではないか。少なとも自分は視点が変わったひとりだ。愛の反対は憎しみや暴力ではなく無関心という言葉は、存在すらさせてもらえないという状態を指す。憎しみを買うのも辛いが、相手にとって存在していない存在であるこは別の意味で辛さがある。だからこそ、愛とは相手がいまここに存在していることを自覚させてくれる力がある。現代ではWEBやSNSの登場により、承認欲求の割合が大きくなっている。自分が何者もであるか、それがいいねと思ってもらえるのか。存在していないのは砂漠にひとり叫んでいるように思えるとするなら、心が次第に枯れていくのは想像できる辛さだ。愛を込めて家族を互いに今この瞬間に笑顔や言葉を表現しようと優しい気持ちになる名言。

貧困をつくるのは神ではなく、私たち人間です。なぜなら私たちが分かち合わないからです。

マザーテレサは、自身に贈られた高級車を宝くじの景品にして、修道院のためのお金に換えたそうです。貧困は人間が作った概念であり言葉。世界の食糧を平等に分けたとしたら、すべての人たちが十分に食べられるだけの食糧はこの世界で生産されているそうだ。しかし、それが出来ていないからこそ貧困がいまだに存在する。神の力ではなく、人々の至らないところにこの問題は尽きる。政治の役割である再分配をもってさえ、上手く分け合えない世の中に対し、私達はどう分かち合えば良いのか。まずは貧困の存在を知り、原因である人間というものについて知ることから始めたくなる名言。

どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。
この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?
そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが見つかって、私はその人を愛することができるようになります。
これが私の愛のはじまりです。

マザーテレサは、どんな人でもできる世界平和の行動として、笑顔を贈ることを願っている。しかし、他者に愛の表現として、笑顔を贈ることは誰彼構わずは出来ないよと思ったりもする。マザーテレサはまず他者に対して、その人の美しい部分を見つけ、見ていくのだそうだ。それによって、他者は誰しもが美しい存在になる。笑顔は自然に生まれる。こんなふうな考え方が出来れば、無敵じゃないかと思える。他者の美しい部分。マザーテレサのすごいところは、どんなひとにもある心の美しい部分を見つける力がひとつにある気がする。色眼鏡をはずして、美しさを見つけに行く。自分はそんな風に他者を見ているか?これはつまり、積極的に自分から他者に向き合う姿勢だ。この時点でもうすでにマザーテレサは他者の存在を肯定してくれている。その眼差しで見られたらひとは心を自然と開いてるのかも知れない。見ようとしてくれた人に対して、悪い気はしないし、自分も同じように見ようとする関係性が生まれる。まずは美しい部分を見つけに行く。人の心はどこまでも広い。その眼差しを相手は見ている。何かが始まる気がする名言。

自分のことへの思いわずらいでいっぱいだと、他人のことを考える暇がなくなってしまいます。

他人に優しくしたいなら、自分に向けた思い煩いを捨ててしまうことからはじめよう。自分のことでいっぱいなときは他人に優しくする余裕もない。反対に言えば、他人に関心を懐き優しさを与えることは自分への思い煩いを振り払うひとつの方法ともなる。思い悩むときにひとに与えることに集中しよう。気づけば優しくなり悩んだことは忘れてしまっているかもしれない。

早足で歩くのと同時に惨めに感じるのは不可能です。

こちらも自分のことで思い煩うときに、身体は正直に歩く速度さえ思い煩っている。ならば、早足で歩いてみようとマザーテレサはいう。身体の速度は思考回路を無に帰してくれる。悪循環のループはなくなり、惨めな気持ちに至ることもない。つまり、思考で解決するのではなく、身体的な行動で思考をリセットしてしまえば、解決したことと等しいともいえる。早足はたとえであり、行動しよう、ひとへの優しさを贈ろう。それは自分自身を豊かにしてくれるひとつの方法論であり、マザーテレサが実際に証明してくれた有効な解決策。マザーテレサの贈り物だ。

マザーテレサの人生と仕事の名言が溢れ出ている動画

マザー・テレサのスピーチ動画

マザー・テレサは、1979年12月10日、ノルウェーのオスロ大学の大講堂で受諾演説を行いました。彼女の肉声や平和に真摯な言葉が聞ける動画です。

“主よ、私がむしろ、慰められることよりも慰めることを求め、理解されることよりも理解することを求め、愛されることよりも愛することを求めることができますように。なぜなら、人は自分を忘れることによって、見つけることができるからです。許すことによって、人は許されるのです。死ぬことによって、人は永遠の命に目覚めるのです。”

マザー・テレサの映画

マザー・テレサの半生を描いた映画「マザー・テレサからの手紙」
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予告編は下記をご覧ください。

マザーテレサの人生と仕事の名言が溢れ出ている書籍

マザー・テレサ 愛と祈りのことば

その生涯を、神への信仰と貧者の救済に捧げたマザー・テレサ。神との深い一致を実践する中で語られた言葉に込められた愛の真理とは?本当に心豊かに生きるための糧となるメッセージ集。

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マザー・テレサ日々のことば

本書に集められたマザーのことばは、いろいろな機会に、さまざまな形で、いろいろな人々に語られたものからの抜粋である。1月から12月に区切って構成。

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マザーテレサの人生と仕事の名言では学び足りない方へ

マザー・テレサがインドの母なら、インドの建国の父はガンジーです。無抵抗主義、愛を持って人々の思考から行動までを変えた彼の名言を紹介します。

二人に共通する点としては、自分の言葉と行動がつながっていることです。
ガンジーは、列車の3等車に乗っていたときに「1等車に乗ればよいのにはなぜ3等車に乗るのか?」と質問され時に、ガンジーは
「4等車がないから3等車に乗っている」と答えたそうです。
1等車に乗らない理由ではなく、あれば4等に乗る、つまり一番低い等にのる、という資本、差別、階級などの一般的な価値観を意にしない行動と言葉があります。

マザー・テレサは、『反戦運動に参加してください』と頼まれたとき、
「平和のための行進なら参加します」と答えたそうです。
戦争に反対するのではなく、平和のために行動するという行動基準からくる言葉の感覚そのものが違うことが伺えます。

ガンジーの厳選19の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

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