きょう、 生まれたひとの言葉

【言葉・名言】絶望から希望を見出す人こそプロフェッショナル 多田克彦 農業経営者

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「絶望から希望を見出す人こそプロフェッショナル」多田克彦

NHK番組のプロフェッショナル仕事の流儀の多田克彦氏の回を要約文字起こしで紹介します。

概要 プロフェッショナル 多田克彦

多田が自ら生産した牛乳を原料に作るプリンやケーキは、東京の人気菓子店で瞬く間に売れていく。柳田国男は遠野物語で
「平地人を戦慄せしめよ」と書く。多田もまた商品で「人々を驚かせる」ことをモットーにしている。今、仕掛けているのは遠野の若い世代の
経営者とのコラボ。売り上げが伸び悩む漬物屋、そして精肉会社とともに、岩手の埋もれた魅力を掘り起こし、海外向けの新商品開発に挑む。
遠野の次世代の経営者たちに、自立とは何かと、多田が問いかける現場をドキュメント。

「ここにしかないものを作りたい」多田克彦

男が暮らす岩手遠野は不思議な伝説が残る山里。民俗学者の柳田国男によって書かれた遠野物語。河童や座敷童子などの言い伝えが生々しく語られている。

それから100年。

農業を生業とするその男は、いま新たな遠野の物語を紡ぐ。それは農業政策の専門家でもあった柳田国男の思想を受け継ぐ物語。

「農民は農業だけを生業とし独立すべきだ」と柳田国男は説く。

「選択肢を自分で考えるっていう事が自立の意味ですよね。」
農業に旋風を巻き起こす男。多田克彦。63歳からは野菜作りだけでなく乳牛も育てる。さらにそれらを使った製品づくりも手がける。

「ここにしかないものを作りたい」

「農業だけで自立する」と30年前に誓った覚悟。20年ほど前の1991年、牛肉の輸入自由化で牛の値段は1/8に下がった。

「あれが自分の人生を奈落の底に落としましたね。」
しかし彼は諦めなかった。

「良い意味で大型の台風」
多田克彦と一緒に働くある女性は彼をこうたとえる。ここに記すのは台風の記録。

「人々を、驚かせる」多田克彦

多田克彦氏の故郷は100年前に書かれた遠野物語の舞台。その美しさは今も変わらない。

柳田国男は遠野物語の序文でこう書き記している。

「やまがみやまびとの伝説あるべし願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」

近代化を推し進めていた当時の日本を柳田は河童や座敷童子などの伝承を語ることで発展ばかりを追求する都市の人々に警鐘を鳴らそうとした。多田さんもいま農業経営者として一つの戦略をとる。

「人々を、驚かせる」

人々を驚かせる。多田克彦氏はいつもそのことを考えている。この日は東北の名産品を東京の商社やスーパーに売り込む商談会。挨拶でいつもの口癖が出た。

「世界に驚きを与えたい。というのが私の願いです。どこにもないもので、世界が驚くもの」

多田克彦は人々を驚かせるものをどのようにして生み出すのか。

その根本にまずはあるのは、徹底した品質の追求だ。

30年作り続けているほうれん草は毎日食べる。
「それが自分の肥料設計、土の管理に活かしている」

30年前に開いた5ヘクタールのこの農場。多田克彦は多忙を極めるいまも毎日早朝に農作業を行う。ここでの農作業を人任せにしない。特にこだわるのは土作り。農薬を用いず有機肥料の使い方も毎年見直してきた。

「違いを出すのが、うちの会社の強みなんですよね。作っているもの自体は他と同じなんだけど、違いをどう出すか。味なり、外観なり、葉肉の暑さなり。そういう緻密な管理がこれからの農業ですよね」

長年、多田克彦は品質にこだわってきた。この日も牛乳の評判を聞きつけたバイヤーが大阪から訪れた。

「牛は放し飼い、自分で全部行動させる」

牛舎の中を自由に歩かせ、牛のストレスを減らすことで質の高い牛乳が生み出せると多田克彦は言う。

しかし努力はこれだけにとどまらない。

人々を驚かせる。そのために多田克彦は別の顔も併せ持つ。それは美味しいスイーツを生み出すパティシエの顔だ。

多田克彦の農場はプリンやケーキなど常時30種類以上のスイーツを販売する。その上新商品の開発も常に取り組んでいる。

「いままでにない商品を作り、それを届ける。素材の生産にとどまらずいろんなものを作ることの毎日なんですよ。」

試作を重ね、ようやく商品化にこぎつけたものがあった抹茶のプリンだ。

さらに多田克彦はもう一つ顔を持つ。それは自ら販路を開拓するセールスマンの顔だ。

この日訪れたのは台湾で高級スーパーを展開している神奈川の商社。商社社長は現地での販売イベントの提案も受け入れた。

素材の生産から商品の製造、そして販路まで独自に切り開く。これが多田克彦の考える自立した農家の在り方だ。

「待ってるいるんじゃなくて、こちらから出ていく。取りに行くとそういう時代だと思います。待っていては何も来ませんから、出ていくしかない思っています。大変なことですけど。市場を作るということは、出て行くことだと思っています。」

商品は日本だけでなく今や海外にまで運ばれていく。去年からはアメリカへの販路を切り開いた。

柳田国男の言葉が多田克彦を変えた。

多田克彦は昭和30年遠野の兼業農家に生まれた。東京の大学を卒業した後、故郷に戻り、市の職員となった。転機は32歳の時に訪れた柳田国男のシンポジウムが遠野で開かれ、初めて遠野物語を手にし、柳田国男の勉強会を立ち上げた。

民俗学の父として知られる柳田国男は、明治政府の農業政策を司る官僚でもあった。柳田は各地の農村を歩き貧困に喘ぐ農民の姿を見た。そして農業の在り方に警鐘を鳴らした。「農家は政府の保護にすがることをただ一つの逃げ道とする風を辞めて、独立して国住建産業となるだけの計画を立てるのが自覚である」と多田克彦は柳田国男の言葉に強く共感した。

「考えてやるのが第一歩。いま立つ位置がどうなのか。果たして右に行ったらいいのか。左なのか。みんなが右に行くけど自分は左だと思う。選択肢を自分で考えることが自立の一歩ですよね。」

その1年後、市役所を辞め多田自然農場を立ち上げた。

しかし当時、日本の農業は岐路に立たされていた。牛肉の輸入自由化が始まろうとする中、多くの農家が国に保護を求めた。多田克彦はこの逆風に敢えて農業だけを生業に立ち向かった。

当時の多田克彦を追った映像がある。妻の和子さんは多田克彦の農業への熱い想いをいつもこんな風に聞かされていた。

「農業って言うと、どうしても1ランク下の産業に思われてて、それに対する反発が常にあって、農業は自立した産業というか儲かる産業なんだっていうことを実証してみたい」

絶望をみた多田克彦。希望は自ら動き始めたこと。

その後、牛肉の輸入自由化が本格的に始まると牛の価格が下落。借金が膨らんだ。

「牛の輸入の自由化。あれが自分の人生を奈落の底に落としましたよね。
うちのうちの価格が8分の1になった。あれで首をくくりたくなった。」

さらに牛乳の生産調整が追い打ちをかけた。牛乳の5%を捨てろという農協からの指令。多田克彦は従わずに脱退した。販路を失った多田克彦は牛乳を自ら東京に売り込みに行った。ここはもっと攻めの姿勢が必要だ。牛乳やヨーグルトの製造を依頼していた会社に一層の規模拡大を指示した。

「とんでもない借金をしているものですがら投げることはできない。自分で売るという方向に家事を切ったわけですよね。みなさんは大きな決断だというけど、黙った牛乳捨てて、損していればいいのかということになるだけですので。私の場合は行動を起こすのが早かったですね。」

売上は20億円にまでなった。しかし農場立ち上げから14年目のことだった。牛乳などの製造を委託していた会社がコンサルタントに騙され倒産してしまった。

当時いた牛を全部処分し一年休んだ。これからどう再スタートするか。考えつくのに1年かかったのだ。

絶望から希望へ。自社生産、自社販売で多田克彦は再スタートした。

再スタートにあたり、多田克彦は決意した。自社で工房を立ち上げ自らの手でこだわりの商品を作っていこう。その仕事を担ってくれる仲間をしっかりと育てよう。

「次の世代。右腕が育っているかどうかっていうのが常に大事。自分一人の能力には限界がある。いろんなことをサポートできる人が自社にいるかが大事だと思うんだよね。言われたことをやるのでなく、自分で考える人材を作らないといけないですよね。」

工房立ち上げからの仲間でいま、スイーツ作りを任されている女性がいる。

「工房を立ち上げる話になって、いきなり修行に行けっていわれたんです。はじめはどうしていいのか分からず、プリン作りには苦労しました。彼女は右も左も分からないまま多田克彦に命じられ、洋菓子店で修行した。

「自分に任せられているんで頑張らないとと、ずっと泊まり込みで、2ヶ月くらい修行してました。」

多田克彦は従業員たちと昼食を共にし農場で採れたものを味わう。当時について彼女と昼食をしていたなか聞いた。

「彼女は成長した。仕事を100%ではなく120%で毎日やっているからね。工房作ったときは彼女と2人ではじめて、いま10年たつ。」

彼女は泣いていた。

東京赤坂、お菓子や惣菜が人気の店に2人がともに開発したプリンが並ぶ。

「やまがみやまびとの伝説あるべし願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」

遠野。観光客で賑わう河童淵。餌のキュウリで狙うのはもちろん河童。柳田国男は遠野物語で伝承を一つ一つ書き残した。柳田は遠野に眠る不思議な出来事を発掘し、人々に伝えたかった。多田克彦もいまは故郷に埋もれた名産品を掘り起こす。多田克彦のもうひとつの顔。それは地元の企業の名産品を売り込む仕掛け人。

この日、商談会は、岩手や青森の9社が参加。アメリカで11店舗のスーパーを展開する企業のバイヤーもやってきていた。

「世界に驚きを与えたいというのが、私の願い。」

ここにしかない。どこにでもなくて世界が驚く。この日初めて参加した三陸釜石の水産加工会社。この企業は津波で被災した会社の従業員たちが新たに立ち上げた。こうした企業を盛り立てたいと多田克彦が声をかけた。

ある岩手の企業は伝統を受け継いでい味は確かだが販路は先代から引き継いだ岩手県内がほとんどだ。土日になると道の駅に出向き販売に励むだが、売り上げは伸び悩んでいた。

「対策はたくさんした。すべて撃沈した。」

多田は言う。
「外に出て、いろんな人の目に触れたり、食べられたりして意見を聞く。その機会が少ないんで、どうしてもの岩手県の我々は遠いですから、本地から出て行って商談するっていうことは大事ですね」

商談会から一か月後、多田克彦があることを仕掛けようとしていた。アメリカ展開するその会社と手を組み、アメリカのスーパーで販売する弁当を作る。

多田はこの日、そのステーキの試作の打ち合わせだった。角牛のステーキに唐沢の漬物を組み合わせる。ステーキを担うのは焼肉レストラン店長、の女性。多田克彦と行動を共にする若きリーダーの一人だ。

「やっぱ驚きが世界を変えていくんだよな。俺はそう思っているんだよな。」

後日、商社へステーキ弁当をアメリカのフェアへの出品に提案。商社の方からステーキの量り売りを提案された。さばくシェフの派遣コストに悩んだ挙げ句、焼肉レストラン店長の女性が自ら捌き方を習得すると提案し、ステーキ弁当の提案は前に進んだ。

「無理しなきゃできないものがある。常識の範囲では商売はできないから絶対無理してやることによって、我々、産地の人の自己主張ができる」

人々を驚かせる遠野の物語、それを次の世代へ

世界は未知数。だけどそれを切り開いていかいと次の世代や展開が出てこない。

by unsplash

“絶望から希望を見出すひとこそがプロフェッショナル。”

仕事において直面する「絶望」それは不可能という言葉にもとれる状況に対し「希望」を見出し、まだ目に見えぬ形のないものを見えるようにする人こそプロフェッショナルだと語る多田克彦氏。精神力という目に見えないけれど確実に問われるのが仕事であり人生でもあります。その普遍的な力の強度こそがプロフェッショナルと呼ばれるほどにまで強かったのかと感じさせる言葉でした。

 

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