シェイクスピアの厳選21の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

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シェイクスピアの仕事と人生の名言 -
ゆっくりと着実に進もうと思える言葉たち

シェイクスピアは世界を代表する文豪。いまでもシェイクスピアの作品は読みつがれ、戯曲は世界のどこかで公演されています。教科書にものるような物語や戯曲で読者を楽しませ続けています。物語とは少し違う地に足の着いた幸福論ともいえる哲学的な言葉は魅力的であり、人生や仕事に勇気を与えてくれます。シェイクスピアの言葉から厳選した名言集を紹介します。

by unsplash

険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である。

険しい丘、高い山、どちらもその形状は裾野が広がっていることにあり、より高くなるにはより広さが必要になる。高みを目指すとはつまり、麓から緩やかに歩き始め、次第に傾斜がつき、足場も心許なく、空気は薄く心折れさえする状況に自分自身を追い込むということ。シェイクスピアの言葉は、どんな高い目標も小さく地道な一歩から始まるというようなことを伝えていると同時に、その地道な一歩こそが高みに挑戦するための、あなた自身を培ってくれる一歩であると教えてくれているよう。一歩一歩大切にしていきたいと思える名言。

成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。

敗北はいままでの挑戦を捨ててしまいたくなるほどの体験だ。漫画「スラムダンク」に常勝チームの山王工業がまさか主人公のチーム湘北高校に負けてしまう。山王の監督が試合後の選手達に、”「負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる。”という言葉とともにコートを後にするシーンがある。そんなチームに勝った湘北も次の試合で簡単に負けてしまい、物語は終わりを迎える。スラムダンクは負けることで全てが終わるのではなく、そこから続けていく美しさを語っているよう。負けることを考えてそんなことを想起させるシェイクスピアの名言。

慢心は人間の最大の敵だ。

慢心は常に自分の中にある。対象と比較し、優位と思い、安心する。慢心は過信と似ていて、自信がありすぎるがゆえに物事が見えなくなる。それならば過剰な自信よりも絶えず自分自身に不足を疑いをかけるような不安や臆病であるほうが良い。プロフェッショナルというその道のプロを紹介する番組、外科医として、全国から手術を希望される山高氏でさえ、常に臆病であれと語る。臆病がゆえに最善を尽くせる。弱みは強みに変えることができる一例。シェイクスピアが言う最大の敵に打ち勝つには臆病であることも一つの術であると考えさせられる名言。

輝くもの、必ずしも金ならず。

金は金銀銅のことであり、富や名声など輝かしいものとして認識されている類の比喩だろうか。ひとは分かりやすく光るものを目標として生きてしまうなか、本当に自身にとって大切な物事は誰もが羨むものではなかったりする。残りの人生がわずかなひとに、人生でやり直したいことはあったかと尋ねたある調査では、仕事の時間よりも、家族の時間や自分が本当にやりたいことに時間を使うべきだったと回答した方が多くいたそうだ。現在進行系で光るものに向かい突き進むうちは気づかないけれど、光こそなくとも自分の本心が喜ぶ物事がある。それらを見つけ大切にすることこそ人生を輝かせるのかもしれないと考えさせられるシェイクスピアの名言。

人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いがあればわずか一里でも嫌になる。人生の行路もこれと同様で、人は常に明るく愉快な心をもって人生の行路を歩まねばならぬ。

もう何も言葉を足すこともなく共感できる言葉。常に明るく愉快な心でいれば、人生を嫌になることはない。ただ、それが出来れば苦労しないよ、といった気持ちもどこかにあるのは本当のところ。つまり、心がどんな状態なのか。心をいかに良い状態に持っていくか。ここが人生の良し悪しを左右する大きな要素なのかもしれない。映画「マザーウォーター」という松本佳奈監督作品に出てくる、もたいまさこが青年の働き姿に対し「機嫌よくやんなさいよ」と声をかける。その映画には、誰かの働きの良い空気が循環している。機嫌良くやることで、全てが少しずついい方向にいくのかもしれない。そんなことを想起させてくれたシェイクスピアの名言。

今晩一晩は我慢しなさい。そうすれば、この次はこらえるのが楽になる。そして、その次はもっと楽になる。

悔しくて悔しくて、怒りすら込み上げて夜も眠れない日がないひとはいないだろう。機嫌良く生きたくても、周囲の人とうまくやっていけないことがあり、自分も知らなかった負の感情でいっぱいの、自分が現れて驚く日だってある。そんな時は、感情に目を向けず、寝てしまえ、怒りを枕に寝てしまえ。次の日朝、もう一度考えてみなさい。案外大したことではないと思えたりすることもあるよ。そんな風に聞こえるシェイクスピアの優しい名言。

楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ。

これも先の名言と同じように、物事にどういう気持ちで取り組むか。気持ち次第で物事から感じるものが変わる。書くことが苦痛で仕方ない人もいれば、書くことが楽しくて、自分自身が癒されるていくような人では、書かれた文字数に大きな差がつくだろうことは予想がつく。楽しんでやれているか?楽しめていないならどう楽しめるか?考えはじめた途端前よりも苦痛を感じなくなることに気づくかもしれない。楽しむことを自分に問いかけたくなるシェイクスピアの名言。

賢明に、そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ。

速く走ると、身体はコントロールしづらくなる。直線ならまだしも、人生は紆余曲折の道程。足場を確認しつつ、少し先の状況把握と、自分の身体についての理解を、絶えず思考しながら進む。それは速く懸命に走っていた時よりも進みは遅いかもしれないが、着実に遠くまで行ける方法。

小雨はいつまでも降り続くが、大嵐はあっという間だ。早く馬を走らせるものは、また早く馬を疲れさせもする。

出力と継続は両立できないトレードオフの関係性がある。最大出力のエネルギーは継続時間が短い。馬を走らせるひとは現代では少ないが、スマホからチームスタッフなど、自分である程度出力をコントロールできる状態であれば、この関係性は意識しながら取り組みたい。考えさせられるシェイクスピアの名言。

避けることができないものは、抱擁してしまわなければならない。

苦手なことや嫌なことは出来るだけ避けたいのが人間。けれど、避けられない物事があるのもまた人生。それならいっそのこと、抱きしめてしまえばいいとシェイクスピアは説く。仕事に追いかけられ滅入ってしまうなら、仕事を追いかけ回し、強く抱きしめる。後ろ向きな時には気づかない、仕事への愛着が芽生えるかもしれないと思わせるシェイクスピアの名言。

たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば堅い樫の木も切り倒せる。

小さなことでもコツコツと続ける大切さ。誰もができることも、誰もが続けてできるとは限らない。大きな事を成し遂げたひとはなにも一太刀で成果をあげたのではなく、数百度の打ち込みで成し遂げたのかもしれない。才能がないとしても成果を出したいなら継続することをやめないことも大きな成果を出す一つの才能かもしれないと思わせるシェイクスピアの名言。

何もしなかったら、何も起こらない。

確かな正論。人間は古くからなにも変わらない。ミュージシャンの矢沢永吉は「やるひとはやる、やらないひとはやらない」と昔のインタビューで語っていた。最近のCMで「やっちゃえ」と語る矢沢永吉がいた。彼はいまだにやる側の人間でいた。なにもしなかったら、なにが起きただろうか?起点のない想像は一向に広がりを見せない。何かを起こしたければ何かをしよう。シェイクスピアの正論な名言。

習慣も大事だが、なかには守るより破ったほうがいいものもある。

守るという意識になった習慣はどちらかというと慣習になりがち。慣習は時に当初の目的から離れていってしまってもそのことに気づくことがない。目的意識とは別の思考回路や無意識的に取り組んでしまう。守ろうと思っている自分に気づくことで習慣の棚卸しができる。そのことに気づかせてくれるシェイクスピアの名言。

シェイクスピアの仕事と人生の名言 -
言葉にならない気持ちが理解できる言葉

by unsplash

言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得する。

言葉を生業にしていたシェイクスピアから、ある意味で対極にある「沈黙」の本質が語られたのは、とても説得力がある。コミュニケーションは言葉やボディランゲージのあいだにある「間」も同じくらい表現に欠かせない。その「間」を語らない言葉として届けることが沈黙にできる表現。沈黙は怖い。言葉を発しないことの怖さがある。しかし、その怖さを超えた沈黙にしか言葉では語りつくせない本心が届くことがある。物語を語り尽くしたシェイクスピアだからこそ響く名言。

悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる。

Mr.Childrenの「箒星」という歌詞に、「口に出すと悲しみは、次の悲しみを生むだろう」という悲しみについての言葉がある。シェイクスピアの悲しみについての言葉と同じような意味として受け取れるような気がする。悲しみはひとつのようでいて、次から次へと溢れ出すような感情だ。それは涙のように、なぜ泣いているのか、どこまでいけば泣き止むのか、自分のことなのだけれど、自分でさえ分からなくなる感情が悲しみにはある。だからどうだと言うことはないけれど、ただただ、悲しみについてそういうものだと思うほかないシェイクスピアの名言。

不幸というものは、耐える力が弱いと見てとると、そこに重くのしかかる。

シェイクスピアの不幸論。不幸は性格が悪いのだろうか。人間が弱っているときに弱っている箇所にのしかかろうとする。そして人は押しつぶされる。耐える力があればいいのだろうが、不幸中には不幸にも耐える力すら弱っているものだ。不幸にのしかかられないようにするには、そもそも不幸をさけることが対策だろうか。だからこそシェイクスピアは先述のように自分の心の持ちようをどう保つかに意識を置いていたのではないか。不幸でなく、幸福を感じるように、心を保つ。これがシェイクスピアの幸福論なのかと思わせる名言。

どうせ年をとるなら、陽気な笑いでこの顔にシワをつけたいものだ。

どうせシワができるなら、笑いジワでありたい。喜劇も悲劇も綴ってきたシェイクスピアが出した答えのようも感じる名言。「子どもは1日400回笑う、大人になると15回に減る」というグリコのCMコピーがある。大人になると笑うことが少なるのは成長ともとれるが、笑いのない毎日では息苦しいのもまた大人の悩みではないだろうか。いかに生きるかを考えるときにひとつの指標として、「きょうは何回笑ったか」と数えるのも一日を豊かにする方法ではないか。気づけば笑いじわが増えている人生であることを願いたい。

他人もまた同じ悲しみに悩んでいると思えば、心の傷はいやされなくても、気は楽になる。

シェイクスピアは悲しみと喜びに関心があったのだろう。悲しみに対してどう対処すればいいか。悲しみを相対的に捉えることで、悲しみ自体は癒えなくとも気分は楽になると述べる。気休めかもしれないが、その気休めで救われるひとは少なくないのではないだろうか?多くの物語を書いてきたシェイクスピアの作品はそんな悲しみに句読点を打つような、「気休め」であろうともしたのかもしれない。気持ちだけでも楽であってほしいと聞こえるシェイクスピアの優しい名言。

シェイクスピアの、言葉にならない気持ちが理解できる言葉に共感する方におすすめ

マザーテレサの言葉は、世界の悲しみを受けれ入れながらも、自分の手の届く範囲から幸福を見出そうとする姿勢に溢れています。ぜひこちらも読んでほしいです。

シェイクスピアの仕事と人生の名言 -
知性とは何かを考えさえられる名言

簡潔こそが英知の真髄である。

ブルーハーツのマーシーは、「難しいことはわかりやすく、わかりやすいことは面白く、面白いことは深く。」と言った。シェイクスピアと同じように、簡潔であることに含まれた多くの知性が重なる。スティーブ・ジョブズが作ったiPhoneには、複雑さを嫌うほどにシンプルで直感的なモノであろうした佇まいが込められているように、簡潔であることのほうが実は難しい。けれど、その難しさを乗り越えた先には多くの人の笑顔が待っている。シェイクスピアからミュージシャン、実業家と時代も業界も越えた普遍的な真理だと考えさせられる名言。

誰の言葉にも耳を傾けよ。口は誰のためにも開くな。

格言。誰の言葉も吸収できるよう常に自分を開いている状態でいて、誰かれ構わず自分の思ったことを口にせず、話す相手は選びなさいということ。時として、ひとは、この言葉の反対のような状態になりがち。自分が信用している人の言葉しか耳を傾けなくなると、自分のなかにある情報は偏りをみせる。科学の発展や常識の形成により、時間で情報の真偽は変わっていく。ひとつの物事からの情報しか受け取れない状況は、結果的に、自分をも傷つける可能性がある。また偏った情報を周囲に話すことは、周囲の人を傷つける可能性がある。賛否問わず、清濁併せ呑むとは言わないが、あらゆる情報が自分のなかに流れていくような環境を整えること重要性を説くシェイクスピアの名言。

暗闇はなく、無知があるのみ。

芸人でいて、ビジネスやエンタメをアップデートしている活動をみせる西野亮廣氏の「行動するために必要なものは『勇気』じゃなくて『情報』だ」という言葉を想起。漠然とした不安や恐怖のようなものは、情報を収集し分析し仮説を立て対処する、このサイクルがあれば、漠然とした暗がりは消える。必要なのことは、無知であることから少しでも新しい情報を得ること。自分のことを知らないと自覚し、新しい情報を得て咀嚼することは、大変に面倒なことである。それでも情報さえ得ることができれば、現代においての生きやすさが違うのは明白。暗闇なんかじゃなく、自分の目が開いていないと自覚したいシェイクスピアの名言。

シェイクスピアの、知性とは何かを考えさえられる名言に共感した方におすすめ

シェイクスピアはユーモアを交えた比喩で知性について言葉にします。今の時代の知性とはなにか、ビジネスをロジックだけでなく、アートやデザインから立脚させた人物、スティーブ・ジョブズの言葉はデザインについてその向こうの知性について問いかけてくれます。

シェイクスピアの人生と仕事の名言が溢れ出ている書籍

あらすじで読むシェイクスピア全作品

あらすじ
『マクベス』って、結局どんな話?「最悪だなどと言えるうちは、まだ最悪ではない」って、どの作品に出てくるセリフだった?日本人は意外と知らない。欧米人は、誰もが知っている。それが、シェイクスピア!これ一冊で、シェイクスピアの作品世界が見渡せる…戯曲40作品、さらに詩作品も収録。

シェイクスピアについて、まずはざっくり網羅的に知りたいひとにはピッタリの書籍。

「最悪だなどと言えるうちは、まだ最悪ではない」
「弱き者よ、なんじの名は女」
「何事にも潮時というものがある」
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」
「まことの愛の道は、けっして平坦ではない」
「まずは、信じる心をもっていただかなければなりません」
「慈悲とは、無理にしぼり出すものではない」
「人生は歩く影法師、哀れな役者だ」
「恋を語るなら、ささやいて」
「絶望して、死ね! 」

上記は、どれもシェイクスピアの作品に出ている言葉です。シェイクスピアの言葉の海に飛び込むまえのガイドブックとしておすすめです。

あらすじで読むシェイクスピア全作品

7人のシェイクスピア

あらすじ
舞台は16世紀、空前の演劇熱に沸くロンドン。片田舎に育った無学の青年・ランス(W・シェイクスピア)は、個性豊かな仲間たちの才能を結集し、芝居の脚本を書き始める。それは、1本のペンだけを武器とした“革命”だった――! 絶対的格差のなかで“自由”を求めた、7人の文豪たちの熱筆疾風録!!!『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『マクベス』etc……数々の名作を著した、史上最高の劇作家にして詩人。現代の英語を作り上げたとも言われるシェイクスピアとは、いったい何者だったのか――。 物語は、16世紀イギリスに生きた、一人の女性の悲劇から始まる……。

地方出身、中等学校までの学歴しかないシェイクスピアが、劇作家として成功するに至ったのか、その答えは「7人のシェイクスピア」のタイトルに隠されている。という著者の創作をスパイスに進む壮大な話がですが、休日にまとめてイッキ読みすると読み応えバッチリの漫画です。

7人のシェイクスピア

シェイクスピアの人生と仕事の名言では学び足りない方へ

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