坂本龍馬の厳選28の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

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坂本龍馬さんは薩摩藩(西郷隆盛ら)と長州藩(木戸孝允)の同盟の斡旋や江戸幕府の終焉となる1867年の大政奉還の成立に尽力し、倒幕および明治維新に影響を与えた人物です。日本の未来のために志士として活動したひと。政治的な大仕事を成し遂げた彼の心と言葉には、大きな夢と志、信じた道を進み続ける精神力、智と勇気と仁を尽くし自分事としてではなく、他者を巻き込むことで時代すら動かした。人生や仕事に勇気をくれる哲学的な言葉が魅力的です。坂本龍馬さんの言葉から厳選した名言集を紹介します。

坂本龍馬てどんなひと?

1836年、土佐(現在の高知県高知市)の郷士(下級武士)坂本家に次男として生まれる。
龍馬が生まれる前の晩に、母が龍が天を飛ぶ夢を見たことにちなんで龍馬と名づけられる。商家出身の坂本家は下級武士であったが非常に裕福な家庭であった。
10歳のときに母が死去し、龍馬は父の後妻に養育された。
少年時代の龍馬は気弱な性格であり、いじめにあって抜刀騒ぎを起こし、漢学の塾を退塾させられたという。以後、姉の乙女が武芸や学問を龍馬に教えた。12歳で剣術道場に入門して小栗流を学ぶ。
1853年、18歳のときに剣術修行のため江戸に出て、北辰一刀流の桶町千葉道場の門人となる。同年、ペリー提督率いる米艦隊が浦賀沖に来航。
1854年、江戸修行を終えて土佐へ帰国。翌年に父が他界する。1856年に再び剣術修行のため江戸に出て、武市半平太らとともに築地の土佐藩邸中屋敷に寄宿。1858年に土佐へ帰国する。
1861年、武市半平太が土佐藩を尊王攘夷の方向へ導くため、土佐勤王党を結成。龍馬も加盟する。しかし勤王党の尊王攘夷の主張は藩内の支持を得ることができず、1862年3月に龍馬は土佐藩から脱藩。この時期に長州藩の久坂玄瑞、高杉晋作らとも交流。
1862年8月に江戸に出て小千葉道場に寄宿。その後、勝海舟の門人となる。
その後は日本の未来のために志士として活動し、1865年には貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。
1866年には雄藩として大きな影響力をもつ薩摩藩(西郷隆盛ら)と長州藩(木戸孝允)の同盟の斡旋や江戸幕府の終焉となる1867年の大政奉還の成立に尽力し、倒幕および明治維新に影響を与えた。
しかし大政奉還成立の1ヶ月後に龍馬は近江屋事件で暗殺され、満31歳の生涯を閉じた。

wikipedia

坂本龍馬の仕事と人生の名言 ー大きな夢と志、好きな道を見つけるが大切だと教えてくれる言葉

坂本龍馬さんの言葉には、「太平洋よりも大きい夢、志を持とう。」そこからすべて始まるんだよと語りかけてくれます。何かを成し遂げたいときにまず大事なことは自分自身が熱望しているか、焦がれているか、自分で自分の心の火を燃やし続けられるか?そんな自問自答から始めるべきと。日本の歴史を変えた大仕事をやり遂げた彼だから、自身の想いを大事にすることで生まれる力の強さを知っていたのかもしれません。想いの強さを大切にと坂本龍馬さんの言葉は伝えてくれます。坂本龍馬さんの言葉を読んだあと、自分と対話する時間をつくりたくなる名言を紹介します。

恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし

世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る

恥を気にしては世の中は変えられない。行動は賛否を生むものとはじめから思っていればそこまで批判に対して気にならない。まず自分が何をしたいのか、その想いが強ければ強いほど、周りの目は気にならないし、自分の眼差しに共感してくれる仲間も増えてくるはず。自分がどうしたいか、その強度を鍛えていくような思考や内省でありたいと思える坂本龍馬の名言。

奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。

事は十中八九まで自らこれを行い残り一、二を他に譲りて功をなさむべし

奇策、いまでいうと突飛なアイデアなどばかりでは本末転倒だと坂本龍馬は言っているのか。99%、正攻法で物事を進めたからこそ、1%の突飛なアイデアが輝く。地道に泥臭くとも積み上げていくべきものがことを成すうえで大切なことだと。勝手なイメージで坂本龍馬は豪快な印象を持っていたが、それはつまり見えないところで確実な仕事をしてきたからこその輝きなのかもしれない。そして、仕事についてもう一つ、残りの1.2割を人に託すこともすべきというのは自分だけの力ではことは成し得ず、ひとと一緒に取り組むからこそ大きな仕事ができると考えているのではないか。ひとを巻き込むことで歴史を変えた人物の代表的な存在である坂本龍馬だからこそ胸にくる言葉。

人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。

人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。

夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。

人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。

何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり

なにをすべきか、好きなこと、夢中になれること、志や夢のようなものを抱くものをすべきだと坂本龍馬は説きます。自分のなかにモチベーションがあることこそ、得意になるための努力を努力と思わず、高い壁も越えようと思えることを坂本龍馬自身も気づいていた。剣術の道を志し、郷土からわざわざ江戸に剣術の指導を仰ぎに門下生となっているように、己がこれを決めた道をひたすら突き進むことをやめなかった。いつしか坂本龍馬は世の中について眺め、政治にまで関わっていく。志がなければできないことであるし、太平洋のようなスケール感で物事を捉えていた彼だからこそ、日本を変えるという道を選び、事実、変えることができたのだろう。成果の大小こそあれ、どんなひとにも言えることは、心からやりたいと思うことをやるべきということ。自分の心に正直になることの大切さを再認識した言葉。

事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

智とは現代でいう知恵、勇とは勇気、仁とはおもいやりの心。なにかを成すときに大切なことは知恵を振り絞ることであり、実際に行動に移す勇気であり、他者と関わるうえでかかせない仁である。智は分かるけれど、勇気や仁については心のうちの問題であり、この部分に気がつけないひとも少なくないのではないのだろうか。勇気は自分の心を奮い立たせ、仁は相手の気持ちを思いやる。常に自分と相手の心に気を配りながら、絞った知恵を形にしていく。頭でっかちに知恵だけに走らず、心をつねに考えて行動していきたいと思い直す坂本龍馬さんの名言。

人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

自分で舞台を作る、これが人生だと坂本龍馬は語る。誰かの書いた芝居でもないし、誰かのつくった舞台でもない。すべてを自分で作り上げる難しさや楽しみが人生にある。「自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。」の言葉にあるように、どんな舞台をつくるかは自分という人間について考えていなければならない。自分のしたいことをみつけ、自分にあった場所をみつけてからがはじまり。もちろん一朝一夕にはできないこと。こつこつと、少しづつ作っていくことも坂本龍馬は言葉にしてくれる。少しづつつくっていこうと思える名言。

世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。

世の中の既成概念を変えてしまうことを仕事と呼ぶと、ハードルが相当高いものになってしまうが、ミクロなことでも誰かの仕事は世の中のなにかを変えているのかもしれない。その積み重ねが次第に既成概念を変えるようなマクロな事象にもなりうる。ミクロもマクロも繋がっていると考えて些事な物事でも世の中を変える意気込みで取り組むとその仕上がりは変わるように思える。そんな仕事ぶりをみたひとに届くものがきっとあるはず。仕事がしたくなる坂本龍馬の名言。

人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

坂本龍馬の視座は高い。世界を変えるイメージで仕事に取り組んでいたような言葉が語り継がれている。けれども、この言葉はそんな高みを目指した坂本龍馬の優しさがうかがえる言葉ではないか。彼にとって失敗なんてない。彼の思考からは矛盾とも取れそうな言葉だけれども、おそらく、高みを目指すことが山登りのような過程だとしたら、目指すべき場所は同じであるし、途中で転ぶことも道に迷うことも過程に過ぎない。そんな道中も想定し覚悟していることも坂本龍馬の思考のひとつなのもしれない。高みを目指すと、思考のなかでは失敗はなくなるのかもしれないと思えてくる言葉。

時勢に応じて自分を変革しろ

人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。

俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ。

万事、見にゃわからん。

偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

暗ければ、民はついて来ぬ。

坂本龍馬の言葉からうかがえるその人物像には、あらゆるひとや事柄に対して分け隔てない眼差しがある。それは彼の長所でもあり、武器でもある。その武器を最大限活かし、日本の夜明けの立役者となったようにも思える。彼のフラットな思考は周りのひとに対して常に開かれていて気負いのない人間関係を築いていたのではないか。彼の周りは明るく照らされているような場所にすらなっていたのでないか。ひとを惹きつける魅力は、坂本龍馬のように、分け隔てのない眼差しと明るさにあるのだなと、自分の他者への眼差しをいまい一度見つめ直せる言葉。

相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。

時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。

俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。

坂本龍馬は自身で意識しているか分からないが政治的なひととしても捉えることができる。政治は論説を尽くし合意形成をはかり世の中を変えるようなものであるが、彼は議論を好まなかった。議論の危ういところを直感的に感じていたのではないか。議論では世の中は変えられないときづいたのではないか。では何が世の中を変えるのか。それは利であると。利とは、利益であり世の中が良くなるというような公益に対してひとは動くものがあり、それを伝えることを坂本龍馬は大事にしたいのではないか。議論しがちな時に思い出したい言葉。

おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。

雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。

疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

この言葉通り、坂本龍馬の行動パターンを書き出してみると、雨が降ってきたような状況になっても、無理して走らずに、むしろ雨宿りしながら次の策を考えながら眠る。翌日には考えついた策を思い切ってやってみる。その精神には最後には骨になり一生を終える生き物としての最後が分かりきっているのだから、やりたいことをやり、無理せず焦らず、また試してみる。そんなサイクルを絶えず繰り返していく。とてもシンプルな行動論、けれどもとても腹落ちする言葉であり名言。

坂本龍馬の人生と仕事の名言が溢れ出ている書籍

新装版 竜馬がゆく

「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。

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龍馬の手紙

動乱の幕末、激しく逆巻き流動する時代の潮流の中、志高く歴史の舵をきり、駆け抜けていった坂本龍馬。自由な発想、並外れた機智、豁達な行動力、奔放な活躍。壮大な国家構想から姉や姪あての心暖まる私信まで、時に茶目気を見せ、喜びや苦悩などの真情も吐露する、計一三九通の手紙を網羅。関係文書や詠草も収録。幕末の異才、龍馬の青春の軌跡が鮮やかに浮かび上がる。

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七人の龍馬 坂本龍馬名言集

“坂本龍馬”副読本の最高峰!司馬遼太郎『竜馬がゆく』から、講談、戯曲、子母澤寛・山岡荘八の小説、映画の脚本、書簡まで、数々の書物から、「名ゼリフ」を集めて龍馬像に迫る。

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