【長編小説】中村文則「教団X」世界の端から端、人間の奥の奥、フィクションがノンフィクションに出現する物語

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テレビで紹介されてから、気になり書店を覗いたが、そのお店には在庫がなく、しばらく諦めていた本。

そのことを覚えていた奥さんが
「辞書みたいに分厚いよ」
と重い思いをして買ってきてくれました。感謝。

確かにそれは辞書のようで、以前にこの分量を読んだのはいつだったかと考えるほど今の自分にとっては分厚く、読むことに少し勇気がいる量だった。

結論から言うと、読み始めて3日で読んだ。具体的に言うと10時間くらいだったろうか。

その分厚さこそ、物語の世界観を担保する文量に相応しい量だったと読後のいまは納得している。

この物語の世界観とは、筆者あとがきから引用すると

“世界と人間を全体から捉えようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書こうとする小説”

とあるように、読者が想像する世界観という言葉では括れないほど、広範囲で、奥行きがある。

世界とはなんだろうか?

アマチュア思想家を名乗る松尾。松尾の思想を慕う人々。松尾の思想の一端を聞ける講演は、何千年も前の宗教の教えと最先端の科学的見地が重なる実例がいくつもあると説く。

“その実験では、指を動かそうと反応した0.35秒後に、意識、つまり「私」が指を動かそう、という意志をもつ。実際に指を動かしたのは、その意識、つまり「私」が指を動かそうと意志をもってから0.2秒後です。
~つまり意識「私」というものは、決して主体ではなく、脳の活動を反映する「鏡」のような存在である可能性があるのです。”

“「<われを考えて、有る>という<わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ」
ブッダさんは科学的な実験もせず、脳も解剖せず、ただ意識を見つめ瞑想し続けることで、この意識「私」が本当は実体のないものだと気づいたことになるかもしれません。”

“銀河が1000億個あると言いましたが、この全体を遥か遥か遠くから見ると、どことなく蜂の巣のようになっているのがわかっています。~この構図を見ていると、あるものに似ているように感じるのです。実は脳の神経細胞です。”

科学と宗教。対立するように見える二つの目指すものや、これまで辿ってきたものはどうやら同じものかもしれない。

人間が科学の世界で辿りついた現在の答えは、この世界は素粒子の集合であり、人間もそれに違わないということ。

素粒子という人間の構成物質は解明できたけれど、意識や心という人間特有の存在の不思議さはいまだ解明されていない。

人間の心理の奥の奥とはどんなものなのだろうか?

そして人間の心を知る上で欠かせない宗教とはなんだろうか?

教団X。そこは、かつて松尾と同じ師の元にいた沢渡を教祖として崇める宗教組織。ある事件を起こしてからは身を潜めながら活動を続ける。教団Xの教義のひとつは、性行為を解放すること。そこでは誰もが性欲を解放する時間と場所が提供される。

かつての同門ではあるけれど異なる思想の2人。そのもとに集う、彼らを慕う人々、崇高する人々が交差する物語。

人は、心の奥で孤独感や飢餓感を抱えながらも、家族や友人、恋人など人間関係の豊かさや、神のような信仰心をを持つことで、なんとか光のある場所に立てているのかもしれない。

では、人間関係が途切れ、信じる神が不在であると知ってしまった時、人はどうすればよいのか?

ここには、孤独感、飢餓感と向き合わざるを得ない人々を惹きつける松尾と沢渡。そして彼ら2人が見つめる神と人間の存在価値が提示される。

松尾は、この世界のシステム全体を神として捉え、その全体のなかにある多様性を愛し、生きることを肯定する。

沢渡は、人間の知性を越える存在である神に惹かれながらも、神でさえ癒せない孤独感を試すように性衝動を解放し、怠惰の究極である破滅を望む。

人間の奥の奥、つまり、光が当たらない場所を言語化すること。

それこそが作家の仕事だと思うし、文学の存在理由だと思う。その姿勢と作品に感嘆。

 

【横浜元町】ランチ 「ホッと こめや」ほっとするおにぎりが食べられるお米屋さん

横浜の元町といえば、お洒落なフレンチやイタリアンなランチがイメージある街ですが、今回は、元町には意外な「おにぎり」を出してくれるお店を見つけたのでご紹介します。

「おにぎり」が食べられる元町の意外なお店 ホッと こめや

本当は山手のカフェを目指していたのですが、なぜか足が止まってしまったのは、おそらくここが元町であり、その名に見合うお洒落なお店が並ぶなか、「ホッと こめや」という店名と「おにぎり」がメインメニューという緩さが、余計にここ元町から際立っていたからだと思います。

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店の前で、おにぎりのメニュー表を見ていると、

「いらっしゃい」

と、お店から出てきた女性に声をかけられました。

女将さんとでもいうのか、品のある佇まいにやっぱりここは元町だったのだと気づかされるまま、ここは昔からのお米やさんであること、精米したてのお米を握っていることや、添加物のない素材を提供していることなど、優しい声と優しい顔で説明してくれました。
決して押してくるわけではない声掛けに、こちらも出来るだけ優しく、実はいまさっきお昼を食べてきたところだ、と伝えると

「あら、それなら少しだけ食べていきなさいよ。美味しいから。お代はいらないからね。」

と友達のお母さんが言いそうな懐かしいお誘いと、お代はいらないという予想外の潔さに驚きました。

品がいいのか、人懐っこいのか、はては新手のやり口か、戸惑いを大いに感じながらも、ここまで言わせて断るのもなんだからな、と最後は女将さんの優しさを損なわせてしまうことを恐れてということにして、お邪魔することにしました。

握りたてのおにぎりと夫婦の温かい空間

店内すぐに、黒く大きく、煙突のようなものがあります。カウンター席に腰掛けながらも大きな煙突に視線をやると、横の方から

「それは精米機。きょうのおにぎりもこれで精米したんだよ。」

店主であろうおじさんが説明してくれた。小さな丸椅子に腰掛けた割腹の良い店主。グレーのTシャツにピンクでプリントされたが横文字が眩しい。

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「どこから来たの?」

観光客だと思ったのでしょう。

ただそう思われても不思議じゃなく、僕らは横浜在住ではありますが、あえて今日は横浜に観光に来たという気持ちで、ガイドブック片手に横浜らしいところを散策しており、さっきまでは中華街の清風楼でチャーハンとシューマイを食べ、山手を目指す道中ここに着いたのです。

と答えると、

「清風楼のシューマイは美味しい、中華街なら風中林がオススメ、野毛なら万里、焼き鳥なら鳥芳、関内ならキャビンという洋食も昔ながらでホッとするね。」

店主と女将さんは横浜在住の僕らに横浜の美味しいお店を紹介してくれました。

遠くから来ようが近くから来ようが「地元」の人達からすれば観光客に変わりはありません。

「はい。少しだけね。海苔はなしだけど。煮物とサラダはおまけ。

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きょう精米され、いま握られたばかりの真っ白なお米に、葉唐辛子が控えめにまざった小さめのおにぎり。お米の甘さと塩分が噛むたびに沁みてきます。素朴で優しい味でした。
ひとしきり食べたあと、ビールを注文しました。これならまだおなかに入るし、せめてものお代として。

「頼ませたみたいで悪いわね」

女将さんがいたずらな顔をすると、ビールと合わせて、おつまみとしてラスクが出てきた。頼んだ以上に返してくる。どうやらそういう人なのでしょう。

「来た時と顔が変わったね」

そう言えば、はじめの戸惑いも緊張もとけていたことに気づきました。

「ホッと、しちゃいますね」

店名にかけて答えると、
女将さんがいっそうにこやかになっていました。

女将さん、店主、煙突、カウンター。おいしさを作るのは何もおにぎりだけではありません。

気づけばいい時間までのんびりしてしまいました。山手のカフェはまた今度。

また今度。その時は、カフェの前に、おなかをすかせてもう一度ここに行こうと思いました。

 

 

 

 

ホッと こめや

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