【おすすめ小説】君の膵臓を食べたい 関わることで生きていることを実感する【あらすじ感想】

妻との共通の趣味と言えば本屋に行くこと。そこで本、小説や漫画、絵本なんかを買って読むことだろうか。

どこかに出掛けに行けば最寄りの本屋に立ち寄る。

もともと一人でも自然に足が向く場所に、いま二人の時間でも立ち寄ることができることは大変有難い。

タイトルが気になるね、なんて買ってみた本著。おそらく恋愛小説で、男女のどちらかが不治の病なのだろう。どうせ泣かされてしまうのだろう。聞いたことあるような話を予想し高を括る。
どちらが買ったかは忘れたが、ひとりでは買わなかった本かもしれない。二人でいることはそれだけで世界が広がる。

彼女の秘密を唯一知るクラスメート

夏が終わる頃、彼はクラスメートである山内桜良にメールを送った。二人にしか分からないあるメッセージを込めて。
4ヶ月前、もし彼女の秘密を知らなければ、彼はまだひとりでいることを選んでいたのかもしれない。

家族以外には知らせていない秘密、膵臓に不治の病を抱える山内桜良、余命宣告をされてから書き始めた秘密の日記「共病文庫」を彼は偶然見つけてしまう。
ひとりを好み交友を必要としない彼と、周囲を明るくし花を咲かせる彼女と対照的な二人。

彼は彼女の秘密を知った唯一の知人として、彼女の残り時間を謳歌することに協力する。二人だけの秘密の関係がはじまる。
焼肉屋にいき旅行にいき、他愛のない彼女の願いに付き合う彼のなかには、人との関係を築く煩わしさや怖さを覚えさせると同時に、人への好意や尊敬、そして彼女が鏡として自分自身を映すことで気づかされた本心。

君にとって生きてるってどういうこと?

彼は彼女に問いかける。

私にとって生きてるって誰かと関わっていること、もしこの世界に自分ひとりだけだったら自分自身に気づくこともないし、生きてるって自覚することもない。

彼はこの質問の答えに彼女の人生観を知り、いま自分が彼女といることはただ、秘密を共有する知人だからといった理由ではない、自分の心の声に気づく。

クラスメートから友人に、そして互いを掛け替えの無い存在として心を通わせ始めた二人だけの時間は、それこそ掛掛け替えのない時間になっていた。
余命を知りつつも、どこかでそんな時間がいつまでも続くと思っていた。

しかし、彼女は突然とこの世から消える。

ふたりつなぐ共病文庫

高を括っていたはずの涙腺が緩んでしまった。

恋愛と死、出会いの幸福も別れの悲しみも最大限に表現する二つの事柄は、これまで何度も読んできた在り来たりな話なのだけれど、いかにその在り来たりを単調に感じさせないか。作者の腕の見せ所だ。

最後まで読んでしまった本作で際立つ特徴は名前と死、その2つに含まれた意味を回収していくように読み明かされる共病文庫という遺書。

本作は主人公の彼が語り口となった一人称の文体で構成されておりページを2.3めくると気づくが、彼が他人に呼ばれる名前は「地味なクラスメイト」くん、「秘密を知った知人くん」なんて呼ばれている。これはつまり彼目線から他人が自分をどう思っているかを名前に当てはめており、彼の世界観そのものが表現されている。

彼女との関わりによって、次第に彼を呼ぶ名前が変わることで彼女との距離感や世界観の変化が伝わってくる。

もうひとつ、死が迫る彼女の残された時間はつまり、彼が彼女と過ごせる時間であり、彼の世界が見違える時間そのものだ。人間は「いま」しか生きられない。彼もまた「いま」を生き始めていたのだろう。

見違えた時間は有限であることが分かっているのにどこか無限かのように感じてしまうのは彼だけではない。読み手が彼に感情移入をし、突然の別れに途方に暮れる。この物語はどう閉じられるのか。彼女が記した共病文庫が彼を、そして彼女に関わる人々の喪失に一助をもたらす。

どうだった?泣いたよ。妻とひとつふたつ感想を話す。

人と関わることは、確かにそれだけで生きてる気がする。

 

【おすすめ漫画】町田くんの世界 「他人に優しくすること」が見せてくれる世界の美しさ【あらすじ感想】

アナログで不器用、

勉強もできなくて、

運動神経もない町田くん

町田くんが得意と言われることはこれといってない。

それでも町田くんはみんなに好かれ、町田くんもみんなが好き。

なぜだろう。

それは町田くんが、

人がただただ好きで、自分の愛情を他人にも惜しみなく注げるから。

関わった人はみな好意と尊敬を抱く。

優しい人なんてたくさんいるのに、なぜ町田くんなの?

それにはまず、優しさについて考えてみる。

優しさというのは、得意なことや才能と言われることはないかもしれない。

誰かが誰かを紹介する際によく聞く
あの人は優しい人、なんて言われる人はたくさんいる。

優しいという言葉には、手垢がついてしまい、

本来の優しさがないがしろにされることがある。

 

町田くんが見せる愛情や優しさは

強くまっすぐだ。

その優しさは、手垢がとれ、本来の優しさの美しさを見せてくれる。

世界は本当は美しいのだ。そう思わせるほど。

どうしてこうも町田くんが見る世界は美しいのか。

 

本作は、

人類愛というのか愛情に溢れた主人公の町田くんが、

その愛情と優しさを世界に注ぐ。

端的にいうと、

それだけなのだけれど、

それだけでいいと思える。

 

 

町田くんの弟が、最近知らないおじいさんと仲良くなった事を町田くんは知る。

事情を確かめようとおじいさんの家を尋ねると、

どうやら怪しい方でなく、ただただ子供が好きなおじいさんだった。

昔は近所にそんなおじいさんがいたけれども、

最近は、知らない大人と子供が互いにふれ合う機会はなくなっている。

いまは、昭和の時代にあった近所付き合いが減り、

社会で子供を育てるような空気はもはや稀有だ。

そんな現在に、町田くんはこれからも弟や妹がおじいさんと遊べるように、

ひとつの工夫で、互いに現代の空気のなかでも、ふれ合える解決策を見出す。

「君は本当に人の心を掴むのが上手いなぁ」

解決策を見たおじいさんは、一瞬町田くんのことを、

世間の空気に機転を利かせる上手な子だと思ったけれども

すぐに思い直し、

「いや、違うか。君は本当に人が好きなんだね」

と町田くんの発送の機転でなく、

ただ人が好きで何かしてあげたいという動機に感心する。

町田くんが与える愛情や優しさの対象は、親しい人だけに留まらない。

他人に優しい人。

これが手垢が洗い流された優しさの無垢な姿だと思う。

他人とは、見ず知らずの一期一会な人とでもいうのか。

つまり、自分とは関係がないと思ってしまう人。

これはとても個人的な判断基準が多分に含まれるが、

もし、ひとり街中ですれ違ったある人に、

ある対応をするかどうかの逡巡をさせられることがあった時、どう対応するだろうか?

例えば、

自転車をドミノ倒ししてしまった人にどう対応するか?

道が分からなそうな人にどう対応するか?

そもそも対応する必要性を感じるかどうかもある。

あの人は困っている。どうすれば解決できそうか?

問題への気づきと、解決への対策までが想像できるか?

そして、自分がその答えを、

自らの意志で、

自分を知っている人が誰も見ていない状況で

実行できるか?

自分のことを知るひとがいない状況で、

知らないひとに優しくできるか。

そこには、

億劫だったり恥ずかしかったり、

無下にされたり、うまく助けることができなかったり、

実行しないで済ませる瞬間がいくらでもある。

これはつまり自分の優しさが試される瞬間だ。

町田くんが世間で言われる優しさとの違いは、ここにある。

他人にただただ優しくできる。

気後れも恐れも介せず、他人に関わる。

人一倍、ひとの心の傷に気づき、

自分ができることのなかで少しでも癒やそうと試みる。

マザーテレサは、

愛情の反対は無関心である、

といった。

人一倍、他人に関心を持つ町田くんの世界は笑顔があふれる。

どうしてこうも町田くんが見る世界は美しいのか。

他人を含めた多くの人の笑顔の中心に町田くんはいる。

そして、ひとが好きであること。

ひとが好きであれば、ひとが織りなす社会、しいては世界を好きでいられる。

つまり、町田くんの世界は「好き」で占められているのだ。

笑顔と好きで囲まれた相思相愛の世界。

そんな世界が美しくないわけがない。