散歩 思い出が詰まった道を歩く散歩は十分に観光となる。

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帰省。

妻と二人で街なかを散歩。

自分はここにくれば「外のひと」

つまりお客さんとして家族のみなさんがもてなしてくれる。

それはとても有り難い。

観光スポットに美味しいごはん、楽しいお酒。至れり尽くせりだ。

外から来た身としては、このもてなされた方に感謝しかないのだけれど、

案外なんでもない風景でも目新しく珍しく面白く感じることは多いにある。

いつもの生活では見落としてるものの些細な違いによく気づけることもそのひとつ。

だから少し空いた時間に散歩をさせてもらうのも十分に観光だ。

思い出を歩く散歩

妻の通った小学校まで歩てみる。

歩くといっても、小学校は山の上にあり、なかなかの距離だ。

妻は幼少期の小さい身体で毎日歩いていたことを想像する。

坂道を歩き、息も少しあがりながら、

妻は道中に目にするものに思い出を紹介してくれる。

その思い出を想像すると、さっきまでとは違うように見えてくる。

知らない場所に誰かの思い出を重ねると、

それはもう知らない場所ではなくなる。

頂上。

小学校は建て替えられて昔とは違うけれど、

面影を探し、ぐるりと見てまわった帰り道。
並木道
杉の木が高く高く伸びてる並木道。

夏晴れのこの日でも木々の陰が涼をもたらす。

ここを歩いて家に帰っていた彼女を羨ましく思う。

誰かと歩くことで、

その人の思い出を想像し、自分だったらと想像し、

感情が湧くことで、見える景色には一層の色が帯びる。

名もない景色が自分のなかで「場所」になる。

気の知れた人との、思い出が詰まった道を歩く散歩は十分に観光となる。

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