【365日、クリエイターの名言】

野村克也の厳選15の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

リーダー

野村克也の仕事と人生の名言 -
リーダーや指導者にとっての嫌われる勇気の大切さ

野村克也さんは元プロ野球選手、監督。監督時代には、ID野球というデータ重視の考える野球を提唱し、数々のタイトルをものにした。彼の指導力や、選手を見る目、本質を掴む言葉に著作は多数。人生や仕事に勇気をくれる哲学的な言葉が魅力的です。野村克也さんの言葉から厳選した名言集を紹介します。

成長
by unsplash

好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない。

リーダーに限らず、信頼関係を築く上で間違ってしまいがちなことは、好かれようとすること。それが邪魔して、YESとなるべく答えてしまったり、相手に必要な言葉や、プロジェクトとはズレたことをしてしまう。目的を明確にし、そこに適した人間関係を構築することもスキルのひとつ。人間関係は一番難しいスキルといっても良いけれど、野村克也氏の信頼を目指すことを頭の片隅に残しつつ人と接するだけでも少し前進する気がする名言。

「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。

大事なことは情熱と愛情があるかどうか。指導において他人に対し指摘する発言の質の以前にまず、自分自身にその人に対しての熱量があるかどうかを認識すべき。その人にあるかというよるも同じ目標や目的対して、達成するための熱量があるかどうか。そこに自信をもって熱量を注げていないようであれば、どんな指導も相手には響かない。まず自分自身の内面を整理し自覚的になることがはじめようと思える。嫌われてもいい気づいてくれれば。そんな気持ちを込めた野村克也氏のぼやき口調が浮かぶ名言。

ナポレオンは「人間を動かす二つのテコがある。それは恐怖と利益である」と言った。私はこの二つに「尊敬」を加えたい。リーダーは「利益と尊敬と、少しの恐怖」で組織を動かしていくべきで、その潤滑油が「笑い(ユーモア)」だ。

恐怖政治という言葉には、相手を恐怖によってコントロールするひとつの方法がある。しかし、それはどこかの国のクーデターのように、暴力での解決しようのない解決が繰り返される。インセンティブ。動機。相手にとっての利益を提供することでマネジメントする方法論がある。ビジネス組織ではインセンティブとして報酬などがある。相手が欲しがるインセンティブを提供することで組織全体の目的を達成することの大きな方向性を同じに方角に向けることができる。しかし、これらの2つは短期的、あるいは中期的なマネジメントには効果を示すだろうが、長期的には難しい。それは相手の内面が決して、この組織に満足してより良い組織にしたいというポジティブな感情ではないから。野村克也氏はそこに「尊敬」を加えた。尊敬は互いを尊重し、敬意を払う心情。ナポレオンの組織論にポジティブさが加わった。ナポレオンの辞書に不可能の文字がなかったという名言ではないが、尊敬が加わった組織に不可能はない。加えて野村克也氏は「笑い」まで込める。名将が名将たる所以かもしれない。複雑になりがちな組織論の指針にした名言。

全盛期を過ぎ、落差に耐えつつ、必死にやる、なんてことを惨めと感じる人はいるでしょう。ところが、僕はそうは思わないんですよ。なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する。そのほうが美しいという、これは僕の美意識です。

アスリートのパフォーマンスにはピークがある 。ピークのまま辞める人もいれば最後まで続ける人もいる。やめときを決められるのは幸せだその幸せを噛み締めながら最後まで泥臭く肉体の限界まで続ける。それはとても幸せなことではないだろうか。美意識と幸せが手を結ぶように自身の体で共存させる。誰かにやめろと言われてもやめない。決めるのは自分。誰かに嫌われても、自分が自分を嫌いにならなければいい。嫌われても良い。そう思える野村克也氏の勇気を与えてくれえる名言。

野村克也の仕事と人生の名言 -
成長の過程にある苦悩から解放する考え方

リーダー
by unsplash

「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。

野村克也氏は現役時代、まっすぐ投げることができていないことを先輩に指摘された。野村克也氏は実はボールの握り方も知らずにボールを投げていたそうだ。どうすれば、まっすぐボールが投げられるか。握り方から投げ方、身体の使い方を考えた。考えることの重要性を感じたそうだ。物事の上達方法のひとつには、自分のしている行動の一挙手一投足を言語化できるかどうかがある。自分の言葉で説明できるのであれば、原因が分かる。つまり結果を変える変数が分かる。考えることは重要だと再確認させられる名言。

重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。

野村克也氏は、選手として活躍できない時期、解雇寸前の交渉時に「クビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と嘆願した。当時の球団人事からは、「お前は活躍できない」と苦言を言われつつも何とか残ったそうだ。結果を出すしかないギリギリの状況のプレッシャーは計り知れない。重荷のようなものを感じながらも結果を残すことがプロには求められる。それがアマチュアとプロの違いかもしれない。けれども、その重荷こそが地に足の着いた自分自身にしてくれる。現状を認めてこそ、現状を変えることができる。野村克也氏のその後の活躍は誰もが知っている。重荷を前向きに捉えることができる名言。

「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。

野村克也氏は選手時代当初、カーブが打てなかった。観客席からは、「カーブの打てないノ・ム・ラ!」「カーブのお化けが来るぞ!」といいった野次を浴びたほど。そんな悔しさや恥ずかしさで野村克也氏は終わらず、どうすればカーブが打てるか考えた。投手それぞれのピッチングのクセを見つけ、カーブを事前に見破ることでカーブの打てない野村を克服した。野村克也氏の苦手克服方法には徹底的な観察がある。現状の見てる世界になかった視点や解像度で見つめると、自分を変えるヒントを見つけることができると教えてくれる名言。

失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。

上記のカーブ克服方法につながるが、なぜ自分が失敗したかが分かることが克服の第一段階かもしれない。失敗を受け止め、言語して、原因と結果を説明できることができれば、あとはその過程のあいだにある自身の行動を変えるだけ。ひとつひとつ、失敗の過程を分解してみればいい。それは悔しいし、恥ずかしい作業かもしれない。しかし、そこに向き合い、改善点を明確にしなければ次にはつながらない。逆に言えば、次につなげるということは、失敗から学ぶ、それだけでいい。成長はとてもシンプルな方法でできると教えてくれる名言。

ちっぽけなプライドこそ、その選手の成長を妨げる。

自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる。

プライドは成長を邪魔する。なぜプライドが成長を邪魔するだろうか。失敗に学ばないからだ。失敗を偶然とみなし、せっかくの成長の機会を自ら奪う。自信を持ってプレーすることは必要だけれども、過信は良くない。過信による怠慢なプレーは結果も怠慢になるのは当然。プライドや過信には自身の思考を硬直させるからだめだと野村克也氏は説く。思考が硬直するということは学習されていない証であり、日々複雑な環境の変化に気づいていないという証明である。勝負の世界では相手の変化に気づけず、ビジネスの世界では経済の時代性に気づけない。それでは誰も自分を評価するはずもない。プライドも過信も捨てて、柔軟な思考こそ成長の姿勢だと再認識させられる名言。

どうやったらライバルとの競争に勝てるか考えたとき、1日24時間の使い方の問題だ、と思った。

生まれ持った才能や環境は選べない。不公平な気持ちに歯ぎしりしたくなる日もある。それでも誰もが平等に与えられたその日は、みな24時間という事実がある。時間は誰しもに与えられた公平な資源であり、スケジュールとしてコントロールできるもの。ライバルに勝りたいなら、この24時間をコントロールして、最大限の成長を目指す。逆に言えば、成長したいときに、その物事にどのくらい時間を使っているかについて自覚的になるべきだ。可視化させた時間に対し、少ないと感じれば、どう増やせるかを考える。成長するための時間を確保することから始めたくなる名言。

不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。

自分のことを不器用だと思っている人は多いのではないだろうか。この言葉はとても勇気を与えてくれる言葉。徹してやることで不器用な人間が最後には器用な人間に勝つ。それは、これまでの野村克也氏の名言から考えれば、不器用な人間には自分の不得手に対し認識が深く、数ある失敗を学習の機会に変えることができるチャンスが存在するということかもしれない。不器用な人が、器用な人よりも多く持っているもの、それは「失敗」の数。失敗を活かして成長に成長を重ねよう。

敵に勝つより、もっと大事なことは、常に自分をレベルアップすること。

勝負事であれば、目の前の敵や、近くにいるライバルなどの存在が分かりやすい現状認識や目標設定となり、成長の糧になる。しかし野村克也氏は、それ以上に有効なこととして、自分自身をライバルと見立てることこそが成長するために重要な考え方だと説く。昨日の自分よりも成長しているか。周囲の環境は絶えず変化し、ときに目標を見失うこともあるかもしれない。それなら、昨日の自分を意識すれば、見失うということがなくなる。むしろ毎日に成長の機会が生まれる。自分と向き合いたくなる名言。

限界が見えてからが勝負だ。

成長で大事なこととして、過去の自分自身と比べてみることが有効だと先述の野村克也氏の言葉で挙がっていたが、時間軸を基準に考えると、過去の自分だけでなく、現在の自分、未来の自分という存在が浮上する。限界を感じるという感覚は、現在の自分と未来の自分との喜ばしい差分が想像できないときに覚える。それは同時に未来の自分との勝負である。未来からの挑発のようなものであり、または自分自身との勝負には終わりがなく、ときにその絶え間なさに嘆く現在の自分の心情とも言える。詰まるところ、成長は過去から未来の間にいる現在の自分の内面が試されている。成長は自分との勝負。そこには誰も傷つけることがない勝負が繰り広げられる。負けたり勝ったりのリーグ戦のような勝負。楽しもう。

「もうダメ」ではなく、「まだダメ」なのだ。

限界を感じたときに口にする言葉「もうダメ」。野村克也氏はアスリートとして、敵だけでなく、自分自身との勝負にも身を置いてきた。その環境は、自分の内面から絶えずあふれる弱音に対してもコントロールする術を身につけさせた。たったいま心から出た「もうダメ」を「まだダメ」にしてみる。すると、僅かな可能性が未知数なもの広がりをみせた。まだダメならどうすれば良くなるか?言葉ひとつで、思考は回りだす。できない理由でなく、できる方法を考えだす。もうからまだへ、たった2文字の言葉を変えるだけでまた勝負に臨める名言。

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野村克也の人生と仕事の名言では学び足りない方へ

マザーテレサの厳選33の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

マザーテレサ2
マザーテレサさんは修道女の身からひとり、貧困の人々へ言葉通り手助けをしてまわる活動が次第に人々へ広がり、「神の愛の宣教者会」を創立した。彼女の発する言葉は、利他的な行動が自身への幸せにつながることを身をもって証明してくれている。人生や仕事に勇気をくれる哲学的な言葉が魅力的です。マザーテレサさんの言葉から厳選した名言集を紹介します。

マザーテレサてどんなひと?

マザー・テレサ、あるいはコルカタの聖テレサ は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。Wikipedia

マザーテレサの仕事と人生の名言 ー「それでも続けること」ことの大切さ

 
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マザーテレサはひとりで貧困の人々への手助けを始めました。当初はその貧困を取り巻く周囲の人々は笑いましたが、マザーテレサは気にすることもなく支援を続けました。それはやがて、かつての教え子たちから支援の輪が広がりました。周囲の無碍な声に「それでも続けること」を説くマザーテレサの名言を紹介します。  
人生とは機会です。 そこから恩恵を受けてください。 人生とは夢です。それを実現してください。 人生とは挑戦です。それをかなえてください。 人生とは義務です。それを完成しとげください。 人生とはゲームです。それを楽しんでください。 人生とは約束です。それを果たしてください。 人生とは悲しみです。それを乗り越えてください。 人生とは歌です。それを歌ってください。 人生とは苦労です。それを受け入れてください。 人生とは悲劇です。それを慰めてください。 人生とは冒険です。それを思い切ってやってください。 人生とは運です。それを作っていってください。 人生とはあまりにも貴重なものです。それを壊さないでください。 人生とは生きることです。戦いぬいてください。
 
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。 それでも許しなさい。 人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。 それでも人にやさしくしなさい。 成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。 それでも成功しなさい。 正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。 それでも正直に誠実でいなさい。 歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。 それでも作り続けなさい。 心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。 それでも幸福でいなさい。 今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。 それでも善を行いを続けなさい。 持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。 それでも一番いいものを分け与えなさい。
人生のいま目の前にあることを受け入れ肯定しながら、前に進むこと。考えたり悩んだり時に誰かへの批判などせずにただただ今すべきことをする。マザーテレサの言葉は簡潔だけれど人々の背中を強く押してくれる。小さなことでも構わないから行動しなさい。そんなふうに聴こえてくる。どんなに逆でもどんなに理不尽でも自分の世界を変えてくれるのはいつも自分であり、自分が言った言葉よりも自分がしてきた事の積み重ねが世界を変える。思い煩う時、マザーテレサの言葉を読んで、もう一度行動しようと思えてくる名言。  
人生はひとつのチャンス、人生からなにかをつかみなさい。
 
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
人生はいろいろある。幸も不幸も含め紆余曲折が人生だとしても、マザーテレサは人生をひとつのチャンスだと説く。何かを掴むことができる機会だと説く。成功や失敗の結果よりもまず、人生が機会に満ち溢れた時間だと思うだけで気持ちは前よりも高揚する。可能性が常に一秒先の未来から自分のもとにやってくるような気さえしてくる。何かをつかもうとする。その時間こそがもうすでに夢中で楽しい時間なら、それは結果として成功ととらえてもいいのではないか。常に機会に目を凝らし掴もうと行動することこそ、マザーテレサが説く、人生を楽しむ秘訣かも知れないと思わされる名言。  
導いてくれる人を待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。
 
暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい。
 
説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。
マザーテレサはカルカッタで従事していた修道院をある日、神からの啓示を受けて、スラム街の貧しい人々を手助けするようなる。元教師であった彼女がまずはじめに行ったことは、学校に行けない子供たちを集めて、青空授業を無料で行なった。その活動からやがて彼女の昔の教え子たちがボランティアとして彼女のもとに集まり、寄付も少しづつ寄せられるようになった。彼女は自分にできることを見つけ、目の前のことに真摯に取り組んだ。この姿を見聞きした人が彼女の取り組みに感じるものがあり、支援の輪が広がっていった。彼女の教え子が集まったのもの過去に彼女がその教え子の人々にも同じように真摯に向き合ったからこそ「信頼」を得ることができ、いまの彼女に協力する動きも生まれたのだろう。いまできることを真摯に取り組む。その姿はきっと、少しの時間差こそあれ誰かが協力してくれる。まずは自分から行動を起こすこと。誰かの行動を待つのではなく、自分がその誰かになること。その行動は次第に大きな動きに変わる。ひとりで始めたこともやがて、ひとりではできなかったことまでやってのける動きになる。力が湧いてくる名言。  
昨日は去りました。明日はまだ来ていません。わたしたちにはただ、今日があるのみ。さあ、始めましょう。
過去のことをあれこれ考えても、悲しいかなそのときにはもう戻ることはできない。昨日は過ぎてしまったのだ。大事なことはいつだっていまに向き合うこと。もちろんいまを大切にしたからこそ、その時間が過ぎていき、過去となり変わってもまだ今と同じような感覚であるのかもしれない。常に「いま」を生きるのは、記憶や論理など人間が動物より得意な頭を使って生きていると少し難しくなる。大事なのは、常に「いま」を感じること。昨日という概念を忘れることと、きょうやいまという時間を身体で感じること。動物のようにいまに集中していくことができれば、人は昨日よりも前に進むことができる。昨日を忘れ今を生きようと思えてくる名言。  
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
 
人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。 目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなくし善を行い続けなさい。 あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく助け続けなさい。 あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
マザーテレサが設立した「神の愛の宣教者会」の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」こと。マザーテレサのこの活動が人々の感心を強く響かせたのは、自身の進行であるキリスト教信者への支援ではなく、どんな宗教でも貧しい人々を支援すること。そして、キリスト教に改宗させることもせず、ただただその人が信じる宗教を尊重しケアを行ってきたこと。信仰よりもまず、命や愛こそが人間の存在として大切なことであり、最大限の敬意を持って接する。当初掲げた目的に合致した行動が世界中の人々の感銘を与えた。行動や活動は、当初の目的と違ってきたり、目的が手段に変わってしまったりと少しづつずれていくこともある。マザーテレサは目的を忘れず進んでいった。この凄さは大小関わらず、目的を掲げたことのある人なら感じるものがある。マザーテレサが目的からずれることのなかった要因は、目的が本当にやりたいことであったことと、常にいまが目的に向かって生きているかどうか感じ取りながら生きてきたのだろう。自分の思考や言葉、行動の一挙手一投足に常に気を配り、目的と合っているか照らしながら、他人の一挙手一投足は常に少し想定を超えるものと見越して、自分の感情や目的に影響させないような心持ちでいたのかもしれない。自分の心を平和な状態にし、周囲をも平和にしていく。なかなかできることではないけれど、この言葉を時折思い出して、確かめながら今を生きて行こうかと思える名言。  
私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎません。だけど、私たちがやめたら確実に一滴が減るのです。
 
私たち一人一人が、自分の玄関の前を掃除するだけで、全世界はきれいになるでしょう。
 
私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。だから、ともに力を合わせれば、素晴らしいことができるのです。
この世界には70億人の人間がいて、一日2ドルほどの生活レベルの人は40億人いる。世界に眼を広げれば、およそ二人にひとりは貧困層と呼ばれる人だ。マザーテレサが活動していた時代も同様に多くの貧困層の人がいた。この数字を目の当たりにすると、自分ひとりが行動を起こしたところで世界は変わらないかもしれないとさえ思え、一歩踏み出すことをやめてしまうかもしれない。しかし、マザーテレサはやめなかった。ひとりひととりが自分の家の玄関を掃除するような身近な物事に少しだけ愛を注ぐことが出来れば世界は変ると本気で思っていたのだろう。いや、思っていたというよりも、計算した結果、確実に達成できると思い至ったのかも知れない。この世界の二人にひとりが貧困層だとしたら、豊かな側にいるひとりが、貧困であるひとりに少しだけ手助けすることができれば、世界はたちまち貧困という言葉はなくなる。そう単純に考えていたのかも知れない。だからこそ、大河の一滴であったとしても、一滴の集まりこそが大河なのだから、その一滴を注ぎ続けようと発信してようにさえ思える言葉。自分にできることが小さくとも、自分にできることをできる範囲でやろうと思えてくる名言。      

マザーテレサの仕事と人生の名言 ー「愛が大事」思い煩う思考にさよならする考え方

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マザーテレサはこの世界に愛が足りないとときます。その愛はひとの優しさであり、ほんの少しの行動、笑顔だけでも十分な愛情を受けたひとの心に届きます。ほんの少しの行動からはじめましょうと説くマザーテレサの言葉は、世界の笑顔を増やしたことでしょう。  
この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
 
一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さなほほえみに飢えているのです。
マザーテレサはこの世界に足りないことは、愛と感謝であり、その意味を表す表現が微笑み、誰かに向けられた笑顔だと説く。マザーテレサの画像を検索してもらうとすぐに彼女の笑顔の写真が飛び込んできて、彼女の笑顔がこの世界に溢れていることが分かる。誰もができることのひとつとしても「誰かに笑顔を向けること」はすぐにできる世界平和。身近な人への笑顔をもう少し増やしてみよう。ある統計では、日本人の子どもは1日400回笑い、大人になると15回に減るそうだ。子どもの笑顔が一瞬でも心に平和をもたらすことを思い出して、子どもたちに負けず、大人ももう少し笑顔を増やそうと思えてくれる名言。  
平和は微笑みから始まります。
 
笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの。
 
誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人へのすばらしい贈り物となるのです。
 
短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。そんな言葉はいつまでも心の中で輝き続ける。
これらの言葉も、上記と同様に「笑いましょう」とマザーテレサは説く。とても簡単なことだけれど、貧困という言葉に対して、ついつい難しい顔をしてしまったりする。それでも笑顔は愛の表現あり、他者への贈り物である。そしてこの贈り物は手間暇のかからない贈り物だ。もしも笑顔が届けられない人には、短めの言葉だっていい。そこに愛情が込められてさえいれば、人の心には届く。笑顔も言葉もどちらも愛の表現だ。ついついこの表現を忘れがちになることがあるけれど、いつも絶やさずに表現できれば、世界はもっと楽しくなる。自分が誰かに笑顔や言葉をもらったときの気持ちを思い出すと、自分の顔も笑顔になる。いつかの笑顔が誰かの心には残る。世界に少し足りなくなる愛は、誰もが無償で簡単に贈ることができ、誰かの心に貯まっていく。その総和が世界の平和に少しでも役立ち、巡り巡って自分を笑顔にしてくれると思える名言。  
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
 
あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。
 
慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。
 
私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
マザーテレサは大きいことを人々に求めていない。ただただ身近な人を愛するように、ひとりひとりができる小さなことをできるよう願っている。しかしマザーテレサの願いや自身の行動として積み重ねた小さな行動は、大きな物事を動かす力があった。1982年のイスラエルとパレスティナの武力衝突を一時休止させ、戦火の病患者たちを救出した出来事があった。マザーテレサの訴えにより大きな争いがいっときでも止まったのだ。小さなことをしてきたマザーテレサへの信頼が一国の動きを変えてしまうほどの力をも示した出来事だ。だからこそ、マザーテレサの願うひとりひとりの小さな愛ある行動を沢山の人が信じたくなるのだろう。彼女自身が証明した愛の力を持ってひとりひとりが行動し続けたらどうなるか、動くのは一国に留まらない。笑顔を言葉を誰かに贈り続けようと思える名言。  
大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
 
世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。 あたたかい微笑み。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。
 
いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。
 
今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
 
愛の反対は憎しみではなく無関心である。
マザーテレサの言葉で格言のように人々の視点を変えた言葉として、「愛の反対は無関心」という言葉ではないか。少なとも自分は視点が変わったひとりだ。愛の反対は憎しみや暴力ではなく無関心という言葉は、存在すらさせてもらえないという状態を指す。憎しみを買うのも辛いが、相手にとって存在していない存在であるこは別の意味で辛さがある。だからこそ、愛とは相手がいまここに存在していることを自覚させてくれる力がある。現代ではWEBやSNSの登場により、承認欲求の割合が大きくなっている。自分が何者もであるか、それがいいねと思ってもらえるのか。存在していないのは砂漠にひとり叫んでいるように思えるとするなら、心が次第に枯れていくのは想像できる辛さだ。愛を込めて家族を互いに今この瞬間に笑顔や言葉を表現しようと優しい気持ちになる名言。  
貧困をつくるのは神ではなく、私たち人間です。なぜなら私たちが分かち合わないからです。
貧困は人間が作った概念であり言葉。世界の食糧を平等に分けたとしたら、すべての人たちが十分に食べられるだけの食糧はこの世界で生産されているそうだ。しかし、それが出来ていないからこそ貧困がいまだに存在する。神の力ではなく、人々の至らないところにこの問題は尽きる。政治の役割である再分配をもってさえ、上手く分け合えない世の中に対し、私達はどう分かち合えば良いのか。まずは貧困の存在を知り、原因である人間というものについて知ることから始めたくなる名言。  
どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。 この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう? そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが見つかって、私はその人を愛することができるようになります。 これが私の愛のはじまりです。
マザーテレサはひとにできる世界平和の行動として、笑顔を贈ることを願っている。しかし、他者に愛の表現として、笑顔贈ることは誰彼構わずは出来ないよと思ったりもする。マザーテレサはまず他者に対して、その人の美しい部分を見つけ、見ていくのだそうだ。それによって、他者は誰しもが美しい存在になる。笑顔は自然に生まれる。こんなふうな考え方が出来れば、無敵じゃないかと思える。他者の美しい部分。マザーテレサのすごいところは、この人の心の美しい部分を見つける力がひとつにある気がする。色眼鏡をはずして、美しさを見つけに行く。自分はそんな風に他者を見ているか?これはつまり、積極的に自分から他者に向き合う姿勢だ。この時点でもうすでにマザーテレサは他者の存在を肯定してくれている。その眼差しで見られたらひとは心を自然と開いてるのかも知れない。見ようとしてくれた人に対して、悪い気はしないし、自分も同じように見ようとする関係性が生まれる。まずは美しい部分を見つけに行く。人の心はどこまでも広い。その眼差しを相手は見ている。何かが始まる気がする名言。  
自分のことへの思いわずらいでいっぱいだと、他人のことを考える暇がなくなってしまいます。
他人に優しくしたいなら、自分に向けた思い煩いを捨ててしまうことからはじめよう。自分のことでいっぱいなときは他人に優しくする余裕もない。反対に言えば、他人に関心を懐き優しさを与えることは自分への思い煩いを振り払うひとつの方法ともなる。思い悩むときにひとに与えることに集中しよう。気づけば優しくなり悩んだことは忘れてしまっているかもしれない。  
早足で歩くのと同時に惨めに感じるのは不可能です。
こちらも自分のことで思い煩うときに、身体は正直に歩く速度さえ思い煩っている。ならば、早足で歩いてみようとマザーテレサはいう。身体の速度は思考回路を無に帰してくれる。悪循環のループはなくなり、惨めな気持ちに至ることもない。つまり、思考で解決するのではなく、身体的な行動で思考をリセットしてしまえば、解決したことと等しいともいえる。早足はたとえであり、行動しよう、ひとへの優しさを贈ろう。それは自分自身を豊かにしてくれるひとつの方法論であり、マザーテレサが実際に証明してくれた有効な解決策。マザーテレサの贈り物だ。  

マザーテレサの人生と仕事の名言が溢れ出ている書籍

その生涯を、神への信仰と貧者の救済に捧げたマザー・テレサ。神との深い一致を実践する中で語られた言葉に込められた愛の真理とは?本当に心豊かに生きるための糧となるメッセージ集。  

マザーテレサの人生と仕事の名言では学び足りない方へ

自分の仕事の作り方のヒントをくれる50の言葉・名言集。【日々更新】
 
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